音姫がなくても大丈夫な世界にしたい

 

「ここのトイレ音姫ついてなくて超あせったぁ〜」

 

トイレの前の休憩コーナーで本を読んでいたら、そんな言葉が聞こえてきたので、
わたしはふと声のするほうへ視線を送った。
若い女の人かな、と思ったら案の定、ふわふわの巻き髪をぶらさげた、百貨店の1階みたいなにおいのするOL風の女だった。

ははん、キミは音姫ないとダメな人なのね。ふうん。

 

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<音姫、ことトイレ用擬音装置。音姫はTOTOの登録商標だ。>

 

 

音姫というのはどうも苦手だ。
わたしの意見としてはむしろ、なんであんなものあるの、って感じ。
だってアレ、使うほうが恥ずかしいじゃないですか。
あの「いまわたしのこの恥ずかしい行為をなかったことにしてます」感、ほんと恥ずかしい。

あ、ていうか男の人はあまり、音姫に縁がないのよね。知らない人のために説明しておくと、音姫は女性的に恥ずかしいとされる「排泄音」を水のせせらぎの音でかき消してくれるトイレ用擬音装置だ。基本的に最近の女子便所にはだいたいある。「音姫」というのはTOTOの登録商標で、INAXは「流水音」という名前だったりするが、機能自体の一般名詞としても「音姫」が主流になっている。

ぶっちゃけあのわざとらしい水のせせらぎの音がけっこう不快で、そんな音でかき消せるほどわたしのウンコは軟弱じゃない!とかよくわからない対抗意識さえ生まれるくらい。音姫を使わないわたしとしては、かなり余計なお世話感にあふれる音なのである。ほんと、あんなもの使う意味がわからない。

 

■音姫が必要とされる理由

といってもわたしは、自分の排泄音にも他人の排泄音にも特になにも感じない、かなり排泄音に関しては無頓着なタイプなので、結構ズレているんだと思う。やはり音姫が一般化している以上、音姫が女性にとって「なくてはならないモノ」であるという事実は明白だ。

では、なぜ音姫は必要とされているのか。その答えは想像できるとおりで、自分のウンコのブリュブリュ音を他人に聞かせるのは申し訳ないからである。(もちろんおしっこのしゃーしゃー音も)つまりは気づかい、エチケットとして音姫は必要とされている。

しかしそれとは別に、「排泄音=恥ずかしいもの」だと決めつけて排泄音を嫌悪するタイプの人がいる。このタイプは前者と大きく違い、気づかいという精神を超えて「排泄音を他人に聞かせるなんてありえない」と思い込んでいるのだ。これは結構厄介なタイプで、どう厄介かというとまあ小学生のときによく「あの子いまウンコしてるんだよ」ってみんなにウワサする子、いたじゃない。あんな感じ。つまりは他人の排泄音を聞いて余計な想像をふくらませ勝手にイヤな気持ちになってそれをありえないとする人たちを差す。

このように、音姫の需要は「気づかいエチケットタイプ」と「自分主体のエチケットタイプ」の2軸によって支えられているといえるだろう。

 

■製品としての音姫

実際ね、製品としての音姫はとてもすばらしいものだと思うの。「わたしは必要ない」とか書いておいてほんとアレだけどホントに。だってさ、これ読んでみてよ。TOTOさんの音姫開発者インタビュー
音姫のリニューアルに関するお話なんだけど、そのプロセスがほんとうに興味深い。音消し以前に環境配慮という問題にも大きく貢献しているし、なにより流水音の作り方なんてめちゃくちゃ骨が折れる作業だよ。そうか、ナプキンを破く音まで気にしてくれてたんだ…なんて気づかされちゃったら、必要ないなんて言えなくなっちゃうよね。むしろ使いたくなっちゃうよね。
ものづくりって大変だけど、すごくいいなあと思う。勇気づけられるなあと思う。
とどのつまり、繰り返しいうけど製品としての音姫はすばらしいものなんだ。
環境にも、どんなタイプの女性にも特化している存在。それが音姫なのである。

 

 

■音姫の発見

なんて、ここ数ヶ月、このようにして音姫についていろいろと調べて関心を高めていくうちに「音姫なんていらない。」と思うわたしと、「音姫すげえ!」って思うわたしが混在する状態になってしまった。これは非常に気持ちの悪い状態である。じゃあわたしは、音姫を、どうすればいいのだ。

そんなこんなで最近は、デパートなんかのトイレに入るたびに排泄をおろそかにして音姫に気を取られてしまっている。音姫をどうしようかということばかり考えてしまって、ウンコに集中できないのだ。これは本末転倒である。それこそなんだか音姫の思うつぼである。こんなことはあってはならないのである。

でもだ。そんなことを繰り返しているうちに、音姫の音色に耳を澄ますなかで、排泄行為をする空間で流れている特異な音に、ひとつの特徴を見いだしたのである。

 

そう、考えるに、おそらく、音姫には流派がある。

 

いやこれは完全に個人的な見解なのだけど、流派というのはつまりTOTOが開発した音に微妙な違いがあるとかそういうことではなくて、音姫を奏でる(使用する)人の羞恥的観念と精神的観念よって生じる分派のことだ。
先ほど音姫の需要は「気づかいエチケットタイプ」と「自分主体のエチケットタイプ」によって支えられている、と書いたが、それを実際の使用状況と絡めて説明すると、下記のように流派が分けることができる。

 

(1)完全音姫流(自分主体エチケットタイプ)

どんな状況下においてもかならず音姫を奏でる流派。ウンコ・おしっこ・オナラすべての排泄物に対しても、またどんな人物とトイレ空間を共有しても必ず音姫を奏でる。
っていうか音姫それが当たり前。

 

(2)雰囲気音姫流(やや自分主体寄り気づかいエチケットタイプ)

親しい友人と同じ空間のトイレに入ってしまった場合や、静かなトイレに別の人が入ってきた場合などのいたたまれないシーンで音姫を奏でる流派。
したたかに奏でるのが特徴。

 

(3)排泄音姫流(気づかいエチケットタイプ)

下痢やオナラをする場合などの、排泄物の調子によって音姫を奏でる流派。
排泄物に対しての判断能力が研ぎ澄まされた人々が集まる流派である。

 

(4)無音姫流(無頓着タイプ)

音姫、ダメ、ゼッタイ。の流派。
かわりに排泄音を的確に奏でるのが特徴。

 

以上が、わたしの考える音姫4大流派だ。むしろこれ以外にないと思う。
先述したとおり、音姫以前は実際に水を流して排泄音を隠していたので、本物の流水音に対しても適応できる流派(流水流派!)と言えるだろう。

気づかいエチケットタイプ要素を含む(2)は、(3)と兼派する場合もあると思う。ちなみにわたしは、(4)だ。あ、だれも聞いてないね。

 

■でもやっぱり音姫がなくても大丈夫な世界にしたい

いやね、この流派を見いだしたのも、いろいろと女性に話を聞いてみて「自分主体のエチケットタイプ」の人が結構いることに、とっても驚いたのです。相手を不快にさせないための「音姫」から自分を正当化するための「音姫」になってる人、それが自分主体タイプの特徴。それって君たち、音姫に流されてますよ。

排泄行為は、恥ずかしいことでも悪いことでもないってことを、大人になっても理解していないのはよくない。そう、排泄行為は絶対正義なのである。そこを忘れてはいけない。

だからね、なんかもういっそ、もうわたしのように排泄音に対してなにも感じなくなれば、もしかしたら「音姫がなくても大丈夫な世界」なんていうのがおとずれて、それはそれで穏やかなんじゃないかななんて思う次第。
だって、人類みんな、ウンコもおしっこもオナラも、するんだもの。

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余談

ちなみに記録用としてこのようなページを設けた。
トイレ用擬音装置たちのページ

あと素朴な疑問なのですが、ウンコは音なんかよりもニオイの方がウッ!ってなると思うのですが、それはもう腹決めるしかないのですか。どうなの、女子のみなさん。

 

音姫がなくても大丈夫な世界にしたい” への3件のフィードバック

  1. ナグョ のコメント:

    興味深く拝読いたしました。

    「人は排泄をする。それを否定するのは何事か」というお気持ちは、とても良く理解できます。

    しかし、一方で、「必要な道具を発明し、更にそれを使いこなすことによって、新たな楽しみを見出し、人間は進歩してきた」という側面も私には無視することができません。

    例えば、エネルギーさえ取れればよかった「食べ物」に関しても、様々な調理法や器具を発明し、今や食べるという事は立派な「娯楽」にすらなっています。

    私は、この点にこそ光を当てたいと感じます。

    つまり、音姫を使い倒してこそ人間ではないかと思うのです。
    そして、音姫の存在を認め、使い倒したその先には「娯楽としての排泄」が見えやしないか。そんな予感すらします。

    さて、音姫をどのように使うかという事については、1)~4)の流儀を上げていらっしゃいますが、更に以下のような使い方が考えられないでしょうか。

    ア)呼び水として排泄のスピードアップを図る
     ‐「私、トイレがどうしても長くて…。」これに対し、お風呂場に行くとトイレに行きたくなるが如く、音姫の流れに乗せてスピードアップを図るのです。
    イ)秘密の会話
     ‐隣のトイレに入っているメールアドレスも知らない人と会話する。そんなとき、モールス信号のように、音姫で会話するのです。例えば、紙が無い場合や、「すごいウンコが出た喜び」を共有しあう場合などです。壁を叩く?それも良いでしょう。でも、「何か連絡を取り合っているな?」とバレバレになってしまいますよ?

    まだまださまざまな使い道は有るでしょう。また、使うだけではなく、音姫の存在を認めることによって、次のような可能性も見えてきます。

    a)音姫の音に調和するように排泄する。
     ‐勢いを増すように。はたまた、爽やかなせせらぎに聞こえるように。「今日の私は四万十川だったわ」「私はナイヤガラに成功したわ」そんな会話も弾むでしょう。
    b)音姫の音を完全にキャンセルするように排泄する。
     ‐a)の応用です。アクティブノイズキャンセリングのように音姫の音を消し去るように排泄します。Bose社もびっくりです。
    c)音姫を偽装するよう排泄する。
     ‐排泄の音が音姫と同一であれば、どこでも恥ずかしくありません。「あれ?ここ音姫なんて設置されてないはずだよな..」と隣の人に疑問を抱かせる。そんな排泄です。そしてやがては、大人として身に着けるべき作法になる可能性も秘めています。義務教育です。

    夢は尽きませんが、今まで「流す」「拭く」「洗う」といった要素しかなかった排泄において、「音」という新たな側面に目を向けた「音姫」。そしてその新しい側面が加わったその先には「娯楽としての排泄」、そんな未来が見えてこないでしょうか?

    さて、話が長くなってしまいました。
    申し訳ありません。

    しかし、私は、音姫とそれを使いこなす人間の可能性にこそ目を向けたい。
    そう思うのです。

    そして、そんな使い方に答え、チーム音姫の方々は一体何を開発するのか。わくわくしませんか?

    では、先ずはこの辺りで失礼いたします。
    長文ご容赦くださいませ。
    以上

  2. エコ丸 のコメント:

    サイトを拝見させて頂きました。
    貴重な本音が見えて感謝致します。
    自分は完全音姫流でした。メンズですがそんな僕が「リアルな音をその場その場で録音して音姫代わりに使えるiPhoneアプリを制作しました」ので是非使ってみて下さい。https://appsto.re/jp/PGFR5.i
    宜しければレビューの方もお願い致します。

  3. とくこ のコメント:

    はじめまして。
    おもしろいお話ですね。

    ちなみに自分は昔も今も(4)派です。
    自然万歳。

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