今日の給食がカレーであるかどうか

 

「今日の給食はカレー?」


3歳のむすこはカレーが大好きである。

お正月明け初登園の1月6日の朝、彼がまず気にしたのは「今日の給食がカレーであるかどうか」だ。

 

我が家は卓上カレンダーに献立が記入してある。日付や曜日に関心を持ってもらおうと考えた、子煩悩でまめな夫の字だ(拡大推奨)

 

見てみるとなんとカレーは28日だ。だいぶ先である。だいぶ先なので、だいぶ先だと伝えた。

彼の顔はガッカリしている。3歳児に日付の感覚はまだなく、22日後といってもピンとこないだろう。しかたなく「今日の給食はミートローフとポテトサラダだよ」と伝えるが、表情は変わらない。今日の給食はカレーじゃない。彼にとって給食は、カレーとそれ以外なのかもしれない。

 

カレーは28日。

 

給食のカレーはあまりにだいぶ先なので、翌日の夕飯にカレーを作ることにした。1月7日、七草粥なんか糞食らえ的に、カレー。胃への優しさとは相反する食べ物だが、むすこが22日間もカレーを待てるとは思えない。胃には優しくできなくとも子供には優しくありたい。

そんなこんなでカレーを作って保育園から帰宅したむすこは想像以上に大よろこび。「カレー!カレー!」と興奮しながら山盛りのカレーライスを平らげた。これでしっかり彼のカレー欲は満たされただろう。

そのせいか、翌日の朝、彼は「今日の給食はカレー?」と聞かなかった。

 

と、思ったのも束の間、聞かなかったのはその日だけで、次の日の朝は聞いた。目をキラキラさせ、カウンターに置いてある卓上カレンダーを眺めながら「今日の給食はカレー?」と。もしかしてこれ、毎日続くのか。

 


〜給食がカレーの日まで残り19日〜

ノースリーブとサッカー

むすこが突然サッカーをやりたい!と言う。

わたしも夫もサッカーどころかスポーツに無縁な生活を送っているにもかかわらずだ。

しかし思えば我々が住んでいるのは葛飾区、葛飾区といえばキャプテン翼、ボールは友だちという狂おしい世界である。であれば決してサッカーと無縁とはいえない。わたしもノースリーブを着て会社に行ったら日向小次郎に似ていると言われた過去がある。むしろ因縁である。サッカーボールを買う理由はそろっていた。

今日は外で初めてボールを蹴った。
5分くらいで飽きて花を摘んでいたむすこ。「サッカーたのしかったねー」と言いながら帰宅した。本当かよというスピードで飽きていたように見えたが、まあ楽しかったならよかった。
わたしも少しサッカーを勉強せねば。

親の足の裏が硬い

 むすこが2才半になり、行動や言動がどんどん子どもらしくなってきた。と同時に「あ、これ私も小さいころ同じことをしていたな」と忘れていた記憶がよみがえることが増えている。
  このあいだ、むすこが私の膝に座って私の足の裏の硬い部分を爪でカリカリしながら「これどうしちゃったの〜?いたいの〜?」と聞いてきた。私はハッとした。私も自分の父親の足の裏の硬い部分を爪でカリカリしながらその硬さに驚き「これどうしたの?」と聞いたことがあった。とても些細でどうでもいい記憶だ。だが確かに私の父親の足の裏も硬かった。それがいつのまにやら、足の裏が硬い側になってしまうとは。時は流れるものである。

 最初に「子どもらしくなってきた」と書いたが、我々が言う子どもらしいって結局は「子どものころの自分や友達がそうだった」の集合知なのだろう。時代は移り変わるので、その物差しだけで子どもらしさを語るのは良し悪しがあるが。その前提があったとして、子どもが「親の足の裏が硬い」と指摘することは、私は大変子どもらしいと感じる。

実際の足の裏の写真は胃もたれするくらい硬かったので絵にした

無題のお悔やみ

先日、祖父が89歳でこの世を去った。大往生といっていいと思う。最期は静かに息を引き取ったそうだ。

祖父のことは大好きだったから、畑の枝豆を一緒に掘ったりとか、家の前の川でザリガニ釣ったりとか、私が作ったウンコファイターズの話をまじめに聞いてくれたりとか、祖父が手作りした将棋盤と駒で将棋差したりとか、あと将棋はちょっと手加減してくれたりとか、そのすべてが楽しく鮮明に思い出されるけど、でも時間は確実に流れていて、私はもう喪服持ってないと不便なくらいには大人だし、祖父はぽっくり死んでしまうくらいには老人だった。ああ、ほんとうに死んでしまったんだなあ、おじいちゃん。おじいちゃん。

出棺のとき、遺影を抱えた母のくたびれた背中を見ながら、やっぱり肉体は老いたくないなあと思ったし、あとこういう話題はとくに最後だからといってとりあえずの「今までありがとう」とかいうのでまとめるのはなんとなく決まりが悪い。私としては。私としてはやはり言いたいことは言っておかなくてはいけない。うん。そうだ。

ねえおじいちゃん、最後まで聞けなかったんだけど、リンゴをすりおろしてご飯にかけて食べてたやつ、あれおいしかったの?

 

ピンチョスで知育しよう

 

突然だがみなさんは「ピンチョス」という食べ物をご存知だろうか。

 

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(こんなの。セレブっぽくてみてて緊張する

 

ああ、これね、と思った人もいるだろう。おしゃれな立食パーティーとか、おしゃれなウエディングパーティーとか、とにかくなにかしらのおしゃれなパーティーでよく見かけるやつだ。
つまようじや串であらゆる具材を刺し、食べやすいようにしてあるのが特徴で、まあまず家庭では見ない料理だとおもう。「お母さんこれ作って」なんて頼んだら、お母さんが機嫌を悪くするくらいには、まあまあおしゃれで非日常的な食べ物である。

 

で、急に話は変わるのだが、わたしはおもちゃの会社で企画開発の仕事をしている。新しいおもちゃを考え、商品化する仕事だ。
なので仕事柄、いろいろなおもちゃ(大人のではない。こどもの。)に触れる機会があるのだが、最近「知育玩具」についていろいろ調べていた。知育玩具とは、幼児や児童の知能的発達を促進するためにつくられた玩具のことだ。代表的なのはLEGOとかで、まあパズルとかも含めてあんなの全般を指すんだけど、調べていく中でみつけた知育玩具に、とある重大な秘密があることに気がついてしまったのである。

 

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(調べていて興奮したのでうっかり取り寄せてしまった知育玩具がこれ。7,600円。)

 

……おや?

もしかしたら、勘のいい人は気づいてしまったのではないだろうか。
わたしのいいたいこと。
そう、この知育玩具、ピンチョスに似てるのである。

 

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(ほら、ピンチョスだ!)

 

これはなんたる発見だろうか。積み重ねてから刺すか、上から刺していくか、という微妙な性質の違いはあるが、これ以上の驚きはない。これはなんたる未知の遭遇であろうか。

このような大発見をしてしまった以上、わたしは責任を持ってこの知育玩具とピンチョスを結びつけた遊びを考えなくてはならない。いや、べつに誰もそんなこと求めていないんだけど。でもやはり、おもちゃの会社で働く身として、それは絶対にやらなくてはならないのである。

 

 

と、いうことで、ピンチョスで知育する「知育玩具ピンチョス会」を急遽開催することにした。

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(メンバーはいつもの3人。「動物嫌いやねん」のまみちゃんと魚卵のマクモさん。)

 

ピンチョスをするにはまずカタチから入らねばならない。ピンチョスはおしゃれな食べ物なので、それにあったおしゃれな格好をするべきである。なので今日はみんなちょっとおしゃれな格好をしてきてね、と伝えた。

 

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(わたし的「ピンチョスを食べるに然るべき格好」)

 

この格好がおしゃれかどうかということは置いておいて、キマっている。ちなみに清澄白河駅のB1出口前だ。光がいい感じである。
(自分ではキメたつもりだったのだが、あとでこの写真とほぼ同じ格好だということに言われて気がついた。恥ずかしい。)

 

さて、格好がキマったら次は買い出しだ。
ピンチョスをするための食材は、知育玩具のようカラフルでなくてはならない。わたしが買った知育玩具のカラーリングを元に、食べ合わせなども考えながら慎重に食材を探す。

 

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(ふだん絶対買わないものがそろいます)

 

選ばれた知育食材がこれらだ。

 

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(わ〜!おっしゃれ〜!)

 

超おしゃれだ。この色並びだけでもだいぶハッピーになるし、刺激的である。毎日こんなカラフルな食卓だったら、きっとこどもの感性も研ぎ澄まされていくに違いない。

ちなみに食材は下記の通り。

 

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(赤:トマト、いちご、梅干し)

 

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(橙:オレンジ、サーモン、よっちゃんイカ)

 

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(黄:卵焼き、かぼちゃ、パイナップル)

 

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(緑:キウイ、アボカド、ズッキーニ)

 

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(紫:レッドオニオン、ブルーベリー、ホタルイカ)

 

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(青は白で代用:クリームチーズ、マッシュルーム、餅)

 

よっちゃんイカがやや異端児感を否めないが、まあとりあえずやってみるに越したことはない。

まず簡単にルールを説明しよう。

 

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(実際の知育玩具のルールにのっとってピンチョスする)

 

この写真の「木の板」の指示に沿って、色に合わせた食材をピンチョスしていく。板はいくつも種類があるので、食材の組み合わせも無限にあるのだ。

なんてこったい、これはけっこう頭を使うぞ。

 

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(無限の可能性たち)

 

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(この木の部分はバゲットで。フランスパンじゃないわ。バゲットとお呼び。)

 

準備も整ったことなので、さっそく知育ピンチョスに取り掛かろう。
まずはまみちゃんから。引き当てた木の板はこれだ。

 

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(赤と黄色と紫しかない!)

 

なんと! この限られた色合いの中で、彼女はどんな食材を選択するのか。
もうすでに、私たちの知育は始まっているのである。

 

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(「ホ、ホタルイカからいくかなあ…」と弱腰のまみちゃん)

 

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(すげえ刺しにくい。ピンチョスってこんなに手が汚れるのか)

 

最初はつまようじでチョしていたのだが(刺していたのだが)、どう考えてもつまようじの長さに食材が入りきらないので途中で竹串に変更。

ううむ、それにしても刺しにくい。おかげでどんどん手が汚れていく。あれ? ピンチョスっておしゃれで食べやすい食べ物じゃなかったっけ?

自分たちのピンチョスにそんな不信感を感じつつ、ひとつめの知育ピンチョスが、いまここに完成した。

 

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(うおー! これぞ求めていた知育ピンチョスだ! )

 

うお、うおおおおおおおおお!
これぞわたしが求めていた、ピンチョスと知育玩具の共存である。すばらしい絵面だ。

ちなみに食材は上から梅干し→卵焼き→ブルーベリー→トマト→かぼちゃ→ホタルイカ。こうやって書き連ねると、ちょっと心配な組み合わせだ。
ていうか問題は味なのである。知育ピンチョスは見た目以上に「食べ合わせ」というものを考えるのがもっとも重要なのだ。そこにいちばん頭を使う。さあ、気になる味はいかに…。

 

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(「あー……うん。なくは、ないかな」とまみちゃん)

 

なくは、ない。
おそらくそれは、「あまりおいしくない」ということだ。食べれなくはないが、おいしくはない。
食材と食材が、奇跡のハーモニーを奏でなかった。つまり、まみちゃんの知育ピンチョスは、こんな言い方をしたくはないが、やや失敗していたのである。
しかし、失敗は成功のもとだ。失敗があってこその知育、失敗があってこそのピンチョスなのである。

 

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 (「がんばるぞお〜」と張り切るマクモさん)

 

まみちゃんのやや失敗した知育ピンチョスをよそに、マクモさんは張り切っていた。「わたしがまみちゃんの失敗を生かしてみせる」と言わんばかりに、わくわくしながらパーツを組み立て、ピンチョスを作り出していく。

 

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(上からマッシュルーム→トマト→ズッキーニ→よっちゃんイカ→レッドオニオン→卵)

 

おお、なるほど。よっちゃんイカ以外は悪くなさそうな組み合わせだ。だが、実際に食べてみると、まったく予期しないところでマクモさんは重大なミスを犯していたのである。

 

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(「たまねぎ、カラい」と言ってこのあと盛大にむせる。)

 

刺したレッドオニオンの量が多すぎたのだ。 おしゃれなサラダに入ってるレッドオニオンだから、大量に食べてもカラくないと高をくくっていたのである。このあとしばらく彼女は涙目だった。というか、何を食べてもたまねぎの味しかしなくなった。これは痛恨のミスである。

おっと、そんなこんなでわたしの出番が回ってきたぞ。

 

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(上からクリームチーズ→卵→梅干→アボカド→いちご→パイナップル→餅)

 

真ん中の組み合わせがやや心配なピンチョスが完成した。
そして、その心配は的中した。

梅干とアボカドの組み合わせの悪さが、飛び抜けて秀逸だったのである。
マクモさんとは違う意味でむせた。びっくりした。

 

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 (なんかもう、ふつうにピンチョスしない?という声)

 

疲労だ。疲労感しかない。
知育ってこんなに疲れるのか。いやこれはピンチョスに疲れてるのか。どっちだ。
いや、どちらにせよ頭を使うというのは、すごくエネルギーを使う。この知育ピンチョスは、頭を使うわりにカロリーが摂取できないという難点があるのではないだろうか。

 

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(結局ふつうのピンチョス会がはじまった。安心して食べれるぞ)

 

むしろ、知育というのはピンチョスに限らないと思う。どのような組み合わせでどのようにおいしくできるのか、どのようにおいしくみせるのか、というのは、料理全般に言えることだ。おいしい料理は、こどもの健やかな成長を促す。知育っていうか、食育か。それは。

とどのつまり、この「知育玩具ピンチョス会」は、知育でもピンチョスでもなんでもない、悲しいので言いたくないが、言ってしまえばただの徒労だったのである。

 

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(まあこの美しい色合いが見れたのはなかなかよかったけれどね)

 

徒労とは言ったが、それでも「ピンチョスと知育玩具は共存し合わない」ということはよくわかった。(最初からわかってた気もするけど。)「食べ物で遊ぶな」というのは、つまりこういうことなのかもしれない。おいしくないものができたら、悲しいもんな。

知育ピンチョスはちょっとアレな味だったが、あまった食材はすべてふつうにピンチョスして完食したので安心してほしい。
あと家でピンチョスはするものじゃないと思う。散らかる。これは間違いなく今後の人生の教訓になるだろう。ピンチョスは作るより提供されるものだ。

 

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(果物だけだと有楽町駅前の果物屋で売ってるやつになる。もうピンチョスがわからなくなってきた。ピンチョスこわい。)

 

音姫がなくても大丈夫な世界にしたい

 

「ここのトイレ音姫ついてなくて超あせったぁ〜」

 

トイレの前の休憩コーナーで本を読んでいたら、そんな言葉が聞こえてきたので、
わたしはふと声のするほうへ視線を送った。
若い女の人かな、と思ったら案の定、ふわふわの巻き髪をぶらさげた、百貨店の1階みたいなにおいのするOL風の女だった。

ははん、キミは音姫ないとダメな人なのね。ふうん。

 

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<音姫、ことトイレ用擬音装置。音姫はTOTOの登録商標だ。>

 

 

音姫というのはどうも苦手だ。
わたしの意見としてはむしろ、なんであんなものあるの、って感じ。
だってアレ、使うほうが恥ずかしいじゃないですか。
あの「いまわたしのこの恥ずかしい行為をなかったことにしてます」感、ほんと恥ずかしい。

あ、ていうか男の人はあまり、音姫に縁がないのよね。知らない人のために説明しておくと、音姫は女性的に恥ずかしいとされる「排泄音」を水のせせらぎの音でかき消してくれるトイレ用擬音装置だ。基本的に最近の女子便所にはだいたいある。「音姫」というのはTOTOの登録商標で、INAXは「流水音」という名前だったりするが、機能自体の一般名詞としても「音姫」が主流になっている。

ぶっちゃけあのわざとらしい水のせせらぎの音がけっこう不快で、そんな音でかき消せるほどわたしのウンコは軟弱じゃない!とかよくわからない対抗意識さえ生まれるくらい。音姫を使わないわたしとしては、かなり余計なお世話感にあふれる音なのである。ほんと、あんなもの使う意味がわからない。

 

■音姫が必要とされる理由

といってもわたしは、自分の排泄音にも他人の排泄音にも特になにも感じない、かなり排泄音に関しては無頓着なタイプなので、結構ズレているんだと思う。やはり音姫が一般化している以上、音姫が女性にとって「なくてはならないモノ」であるという事実は明白だ。

では、なぜ音姫は必要とされているのか。その答えは想像できるとおりで、自分のウンコのブリュブリュ音を他人に聞かせるのは申し訳ないからである。(もちろんおしっこのしゃーしゃー音も)つまりは気づかい、エチケットとして音姫は必要とされている。

しかしそれとは別に、「排泄音=恥ずかしいもの」だと決めつけて排泄音を嫌悪するタイプの人がいる。このタイプは前者と大きく違い、気づかいという精神を超えて「排泄音を他人に聞かせるなんてありえない」と思い込んでいるのだ。これは結構厄介なタイプで、どう厄介かというとまあ小学生のときによく「あの子いまウンコしてるんだよ」ってみんなにウワサする子、いたじゃない。あんな感じ。つまりは他人の排泄音を聞いて余計な想像をふくらませ勝手にイヤな気持ちになってそれをありえないとする人たちを差す。

このように、音姫の需要は「気づかいエチケットタイプ」と「自分主体のエチケットタイプ」の2軸によって支えられているといえるだろう。

 

■製品としての音姫

実際ね、製品としての音姫はとてもすばらしいものだと思うの。「わたしは必要ない」とか書いておいてほんとアレだけどホントに。だってさ、これ読んでみてよ。TOTOさんの音姫開発者インタビュー
音姫のリニューアルに関するお話なんだけど、そのプロセスがほんとうに興味深い。音消し以前に環境配慮という問題にも大きく貢献しているし、なにより流水音の作り方なんてめちゃくちゃ骨が折れる作業だよ。そうか、ナプキンを破く音まで気にしてくれてたんだ…なんて気づかされちゃったら、必要ないなんて言えなくなっちゃうよね。むしろ使いたくなっちゃうよね。
ものづくりって大変だけど、すごくいいなあと思う。勇気づけられるなあと思う。
とどのつまり、繰り返しいうけど製品としての音姫はすばらしいものなんだ。
環境にも、どんなタイプの女性にも特化している存在。それが音姫なのである。

 

 

■音姫の発見

なんて、ここ数ヶ月、このようにして音姫についていろいろと調べて関心を高めていくうちに「音姫なんていらない。」と思うわたしと、「音姫すげえ!」って思うわたしが混在する状態になってしまった。これは非常に気持ちの悪い状態である。じゃあわたしは、音姫を、どうすればいいのだ。

そんなこんなで最近は、デパートなんかのトイレに入るたびに排泄をおろそかにして音姫に気を取られてしまっている。音姫をどうしようかということばかり考えてしまって、ウンコに集中できないのだ。これは本末転倒である。それこそなんだか音姫の思うつぼである。こんなことはあってはならないのである。

でもだ。そんなことを繰り返しているうちに、音姫の音色に耳を澄ますなかで、排泄行為をする空間で流れている特異な音に、ひとつの特徴を見いだしたのである。

 

そう、考えるに、おそらく、音姫には流派がある。

 

いやこれは完全に個人的な見解なのだけど、流派というのはつまりTOTOが開発した音に微妙な違いがあるとかそういうことではなくて、音姫を奏でる(使用する)人の羞恥的観念と精神的観念よって生じる分派のことだ。
先ほど音姫の需要は「気づかいエチケットタイプ」と「自分主体のエチケットタイプ」によって支えられている、と書いたが、それを実際の使用状況と絡めて説明すると、下記のように流派が分けることができる。

 

(1)完全音姫流(自分主体エチケットタイプ)

どんな状況下においてもかならず音姫を奏でる流派。ウンコ・おしっこ・オナラすべての排泄物に対しても、またどんな人物とトイレ空間を共有しても必ず音姫を奏でる。
っていうか音姫それが当たり前。

 

(2)雰囲気音姫流(やや自分主体寄り気づかいエチケットタイプ)

親しい友人と同じ空間のトイレに入ってしまった場合や、静かなトイレに別の人が入ってきた場合などのいたたまれないシーンで音姫を奏でる流派。
したたかに奏でるのが特徴。

 

(3)排泄音姫流(気づかいエチケットタイプ)

下痢やオナラをする場合などの、排泄物の調子によって音姫を奏でる流派。
排泄物に対しての判断能力が研ぎ澄まされた人々が集まる流派である。

 

(4)無音姫流(無頓着タイプ)

音姫、ダメ、ゼッタイ。の流派。
かわりに排泄音を的確に奏でるのが特徴。

 

以上が、わたしの考える音姫4大流派だ。むしろこれ以外にないと思う。
先述したとおり、音姫以前は実際に水を流して排泄音を隠していたので、本物の流水音に対しても適応できる流派(流水流派!)と言えるだろう。

気づかいエチケットタイプ要素を含む(2)は、(3)と兼派する場合もあると思う。ちなみにわたしは、(4)だ。あ、だれも聞いてないね。

 

■でもやっぱり音姫がなくても大丈夫な世界にしたい

いやね、この流派を見いだしたのも、いろいろと女性に話を聞いてみて「自分主体のエチケットタイプ」の人が結構いることに、とっても驚いたのです。相手を不快にさせないための「音姫」から自分を正当化するための「音姫」になってる人、それが自分主体タイプの特徴。それって君たち、音姫に流されてますよ。

排泄行為は、恥ずかしいことでも悪いことでもないってことを、大人になっても理解していないのはよくない。そう、排泄行為は絶対正義なのである。そこを忘れてはいけない。

だからね、なんかもういっそ、もうわたしのように排泄音に対してなにも感じなくなれば、もしかしたら「音姫がなくても大丈夫な世界」なんていうのがおとずれて、それはそれで穏やかなんじゃないかななんて思う次第。
だって、人類みんな、ウンコもおしっこもオナラも、するんだもの。

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余談

ちなみに記録用としてこのようなページを設けた。
トイレ用擬音装置たちのページ

あと素朴な疑問なのですが、ウンコは音なんかよりもニオイの方がウッ!ってなると思うのですが、それはもう腹決めるしかないのですか。どうなの、女子のみなさん。

 

リカちゃんキャッスルに行ってきた

福島県小野新町に、「リカちゃんキャッスル」という

謎のお城があるというウワサを聞きつけた。

 

磐越自動車道 小野ICを降りてわりとすぐのところに

突如として現れるそのお城は、普通に通りすがっただけだと、

(周辺の森深い雰囲気からして)ラブホテルかなにかと

勘違いしてしまいそうな見た目らしい。

しかしどうやらそれは、女の子なら誰しも一度は遊んだことのある

「リカちゃん人形」のオープンファクトリー(工場)なんだそうだ。

 

私もこどもの頃、リカちゃんとたくさん遊んだ記憶があるので、

個人的にはかなり気になるスポットである。

さっそく行ってみよう。

 

IMG_1824(お城だ!キャッスルだ!)

 

わお! 思っていたよりもでかい! そして立派なお城だ!

このかわいらしい外観で、しかも中に工場があるとは、なんとすばらしい。

さすが、長きにわたって愛される、夢のあるおもちゃだなあと感心する。

 

IMG_1825(入り口は意外と入り口っぽい)

 

中に入ると、入り口でさっそくリカちゃんがお出迎してくれる 。

なんと、お出迎えしてくれるのはただのリカちゃんではなく、

リカちゃんのロボットなのである!

 

 

すげえ……リカちゃん、結構ぐわんぐわんしてるけど大丈夫なんだろうか……。

 

動作の不自然さとは裏腹に、かなり陽気なので、余計不安になってくる。

そんな関節の硬そうなリカちゃんを心配しながら奥に進んでいくと、

次のフロアは歴代のリカちゃんや、お店では見られないような

オシャレなリカちゃんがたくさん飾られている展示室が広がっていた。

 

IMG_1842(むかしのリカちゃんもやっぱりかわいい)

 

IMG_1847(初代彼氏、カネ持ってそうだなー)

 

IMG_1849(ガングロ!リ、リカちゃん!)

 

IMG_1856(こういう嫌なキャリアウーマンいるよね)

 

IMG_1857(ピンク髪でもカワイイ)

 

IMG_1858(バンドメンバー募集中。当方Vo)

 

IMG_1865(ゴージャスだ。玉のこしにでも乗ったんだろうか)

 

IMG_1863(これは夢に出るなあ……)

 

IMG_1861(もはやリカちゃんではない)

 

IMG_1868(個人的にこれが一番かわいかった)

 

すごい! あまりにもいろいろなリカちゃんが展示されているので、

すべてを写真におさめることができなかった。

それくらい、すさまじい種類のリカちゃんが展示されているのである。

これは、リカちゃんファンでなくても本当に圧倒されると思う。

あまりの量にリカちゃんゲシュタルト崩壊しそうな勢いだ。

 

つづいて展示室を抜け、通路のようなところに突入。

そこは、ガラス越しに工場の様子が見られるスペースになっていた。

なるほど! これがオープンファクトリーか!

 

IMG_1870(マジで工場だ)

 

そこは、あのメルヘンなお城の外観からはまったく想像できない

超現実的世界が広がっていた。

本当に、マジで工場じゃん!

 

IMG_1875(顔がタマゴのケースみたいなものの中にゴロゴロと)

 

どうやらリカちゃんファンの間では、この「リカちゃんキャッスル製」の

リカちゃん人形が人気らしい。

まぁたしかに、なんたってメイドインジャパンですからね。

 

IMG_1876(なにかを検査している)

 

IMG_1881(リカちゃんの髪の毛縫ってるー!)

 

IMG_1882(ちゃんと髪もとかしてるー!)

 

たしかに工場はただの工場であった。がしかし、中の作業の様子を見て、

なぜリカちゃんキャッスル製のリカちゃん人形が愛されるのか

わかった気がする。

 

そう。1体1体、本当に丁寧に作られているのだ。

 

リカちゃん人形なんて、たかがおもちゃかもしれない。

でもそれでも、ただのおもちゃだとしても、

少なくとも女の子の一生のうちの何分の1かを一緒に過ごす、

「大切な友達」にも近いおもちゃなのである。

これをこんなに大事に作ってくれているとは……

実家のリカちゃん人形、まだ捨てないでいてくれてるかな。

今度帰ったら、探してみよう。

 

IMG_1899(テンションが上がって帰り際に着てしまった。リカちゃんロボとおそろい!)

 

正直、リカちゃんキャッスルという施設にあまり期待していなかったけど、

このようにまんまとリカちゃんの魅力に取りつかれてしまった。

 

うん。リカちゃん、かわいいよ。

 

いつの時代も女の子の心をつかんで離さない、そのキュートないでたちは、

今日も私たちにがんばる勇気と希望を与えてくれるのかもしれない。

やっぱりリカちゃんは、この年になってもあこがれの存在なのである。

 

20140919_235741(リカちゃん誕生秘話本まで読むくらい夢中になってしまった)

 

4コマ漫画の持ち込みをしてみた

「漫画家になりたい!」

そう思い志す人はたくさんいるだろう。

「クールジャパン」と叫ばれる今、漫画というポップカルチャーは

ますます大きくなっていくと思われる。

ということで、私もそのクールジャパンな風潮に便乗し、

かねてよりやってみたかった出版社への漫画の持ち込みをしてみた。

『もしかして私も日本のカルチャーを担う存在になるかも…』

そんな淡い期待を寄せながら、ごくふつうに玉砕するまでの経緯を紹介しよう。

 

 

漫画といっても、想像力に乏しい私には

30ページを超えるストーリー漫画を描くほどの立派な話は思い浮かばない。

なので、小ネタをひとつひとつ表現できる4コマ漫画を描くことにした。

自分のTwitterやEvernoteに、いくつか小ネタは蓄積してある。(おもにダジャレだけど)

よし、そうとなったらまずは、つけペンとインク、あと原稿用紙を買いに行こう。

 

2014-05-06 12.43.19

<これらがあればなんとかなる>

 

4コマ漫画専用の原稿用紙なんてあるのか!と驚いた。

あらかじめ4コマの罫線が入れやすいよう、アタリが入れてあるのだ。

なるほど、これでサクサクモリモリ漫画が描けるぞ。

 

4コマ漫画界でも最大手の某出版社への持ち込みを決めた私は、

規定数である5ページを、3週間かけて描きあげた。

だいぶ時間を要したと感じるが、それだけ漫画を描くというのは大変な作業なのだ。

さて、その漫画がこれだ。

 

1

 

2

3

4

5

 

いかがだっただろうか。

今改めて読むと、言葉遊びに走りすぎて、オチが弱いと自分でも思った。

まあ、それが持ち込んだ結果のすべてなのだが。

 

 

そうはいっても、描いた当初はウキウキ気分で編集部に持ち込みに行った。

参考までに、そのときに編集者の方に言われたことを、対話形式で記しておきたい。

ちなみに、編集者の方は若い(私とあまり年の変わらなそうな)女の方。

原稿は編集部の受付前の談話室で行われた。

 

 

6

 

「なんというか、下ネタが多いですね」

prf

 

 

「(え?多いか…?そうか…?)そうです…ね」

6

 

 

「こういったギャグは、弊社の発行する雑誌を読むファミリー層にはウケません。あとオチが弱いですね。想定されるオチから脱せていない印象を受けます」

prf

 

 

 

「(気付かされるなと思いつつ)すいません…」

 

6

 

「あと絵が蛭子能収さんに似てますね

 

prf

 

 

「(たしかに似てると感動しつつ)すいません…」

 

6

 

「今の時代はかわいい女の子が出てくる、いわゆる”萌え”路線が求められています。あなたの作品は、あまり時代に合いませんね」

 

prf

 

「(時代を恨みつつ)すいません…」

 

6

 

「ではあと、なにか質問はありますか?」

 

 

prf

 

「(なにも考えてなかった)えっと…下ネタが多いとおっしゃいましたが、5ページ中どれくらいなら下ネタOKですか?(どうでもいいことを聞いた)」

6

 

「えっと…そうですね…1コマくらいだといいですね

 

prf

 

 

「(細かいなと思いつつ)さ、参考になります…」

 

6

 

 

「それではもう結構ですので。お疲れさまでした。」

 

prf

 

「(なんかいろいろと混乱しつつ)ありがとうございました…」

 

 

 

 

…といった具合だった。

なんか、よくわからないけど、きちんと的を射ていたので、納得はできた。

納得はできたのだが、下ネタ多かっただろうか?

普段下ネタばかり言っているせいで下ネタの程度がマヒしているのだろうか私は。

この判断はみなさんにもまかせたい。

 

とにかく、漫画を描くというのは大変な時間と労力を要する。

またそれをたくさんの人に見てもらうのは、すごく大変な道のりだ。

私も実際に漫画を描いてみて、その苦悩を少しは(本当に少しは)感じることができたと思う。

漫画家と編集者の魂のぶつかり合いでできた漫画こそ、

強く強く輝ける日本の文化としてふさわしいものとなるのだ。

 

私としてはすごく楽しかったし、とてもよい経験になったが、

漫画に対する熱意があまりないようである。(最初からわかっていたけど)

 

漫画家を目指すみなさん。そして、漫画家のみなさん。

どうか、日本をよろしくお願いいたします。

 

無邪気になりたい大人の遠足-2

 

はじめからよむ

 

社会に疲れた4人の大人が、童心を取り戻すべく立ち上がり、

上野動物園で遠足をすることとなった、その名も「大人の遠足」。

 

そのうちのひとりが、輪を乱した。

 

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「うち、動物嫌いやねん」

 

この一言で楽しい遠足の場は凍りついた。

こどもであれば、「やめなよそんなこと言うの!」とか「男子は黙ってて!」とか

正義感に満ちた女子が即座に仲裁に入るものだ。

しかし、われわれは大人である。

 

大人の世界において、一度微妙な空気になった場を元に戻すにためは、

仲裁より先に即座にだれかが謝るのが穏便である。

この窮地を穏便に済ますためには、つまり、私が謝ればいいのだ。

 

一瞬で頭を整理し、謝罪の体制に入ろうと頭をかがめかけた瞬間、

微妙な空気を裂くかのようにまみちゃんがこう言い放った。

 

「でも楽しそうやからきたんやで」

 

…ああ、ああ。なんだ、ホッとした。

そう、「いやなことも我慢する」というこどもへの教えがある。

こどものころは理解できない教えであったが、

「我慢した先に、楽しいことがあるかもしれない」と思えるようになるのは、

ある程度人生をつんできた大人だからこそ。

大人であるまみちゃんは動物の臭いを我慢して、この楽しい遠足に来てくれたのだ。

 

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(ホッとした主催者)

 

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(マクモさんも安堵した表情)

 

いやしかし、まみちゃんの毒舌が絶大な支持を受けるのがよくわかる。

なんというか、言葉の随所に飴とムチがちりばめられており、巧妙だ。(褒めてます)

 

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(作・やっぱんつ:ヘンな汗をかいた出来ごとだった)

 

 

■遅めのお弁当タイム

背筋の凍るようなできごとや、久々に会った友人と話に花が咲いている間に、

ときすでに午後2時。

参加者がそろったところで、遅めのお昼ご飯にすることにした。

 

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(ちょっぴりお昼のお供を買い出しに)

 

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(お弁当を広げる前に、ビールが必要よね)

 

青空の下で弁当ときたら、ビールだ。

ビールなくして晴天なし、と言い切れるほど、青空とビールは合う。

こどもにはまねできない遠足の楽しみ方だ。

ちなみに上野動物園のビールは500円なのだが、ビールはお菓子に入るだろうか。

 

無題

(おっ弁当!おっ弁当!)

 

しおりに記載してある持ち物の通り、みんなには各自お弁当を用意してもらった。

手作り弁当を強制しなかったので、私以外は買い弁。

中でもまみちゃんは、みんなで食べようと、ます寿司を持ってきてくれた。

ます寿司といえば駅弁の定番、駅弁と言えば大人のお弁当の定番だ。

 

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(ます寿司が「大人の遠足」感をアピール)

 

本来ならば車内で食べる駅弁も、青空の下で食べるとこれがなかなかうまい。

旅への楽しみが駅弁をうまくするように、遠足のワクワク感が駅弁に色を添える。

自分にこどもができたら、学校や幼稚園の遠足に駅弁を持たせるのも悪くないなと思った。

 

 

 

絵日記再開

やや周囲から視線を浴びつつ、大変に楽しくおいしい遠足のお昼を食べた終えた4人の大人たち。

アルコールのまわりを感じながら、絵日記再開だ。

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(満腹感から「もうお開きでいいんじゃない?」と言ったのは内緒だ)

 

よく考えると、紅白帽被って絵日記を描く分には問題ないのに、

そこにアルコールの臭いがすると一気に迷惑行為感が湧いてくる。

ああ、大人になるということはつらいことだ。

 

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(さぁほろ酔い気分で描きますよ)

 

絵日記を再開したものの、昼を過ぎたあたりからやや来場者が増え始めたせいか、

どこへ行ってもこども、こども、こども。

突然走り出したり、ウロウロするこどもたちに囲まれるものだから、

ゆっくり立ち止まって描いている余裕があまりない。

 

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(落ち着いて描けないんでしゅねー)

 

そんな悪い状況の中で、ヘタクソなりに懸命に描く。

懸命に描くといっても、ヘタクソに拍車がかかるだけなのだが。

 

5  3

(作・まみちゃん:パーツだけ描いてごまかす)

 

4  2

(作・マクモさん:キャラクター化でごまかす)

 

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(作・なっちゃん:そもそも筆圧が弱い)

 

たくさんの人に囲まれながら紅白帽をかぶっていると、

大人にはスルーされるのだが、こどもが容赦ない視線を向けてくる。

しまいには、「ママ、何であの人たち紅白帽かぶってるのー?」

と言われる始末だ。

 

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(なんでだろうね)

 

「なぜ紅白帽をかぶっているのか」、その疑問にぶつかったころ、

動物園は閉園時刻をむかえようとしていた。

私たちもちょうど園内を見尽くしたので、外に出て、絵日記のまとめをはじめた。

 

 

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(閉園したので今日のまとめに入ります)

 

今日の大人の遠足、主催者の私としては、心の底からとても楽しかった。

当初の思惑通り、本当に童心に帰ったかのような楽しさで

実際に「へケ!」と屈託のない笑顔をまき散らすことができた。

 

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(作・やっぱんつ)

 

しかし、悪く言えばこの遠足は、紅白帽によってたくさんの視線にさらされ、

思うように絵日記もかけず、動物のにおいを我慢し、

ビールを飲んでいい気分になっただけの会である。

 

そんな会を、私以外のみんなは本当に楽しめたのか?

童心に帰れたのか?

その答えは、提出をお願いした絵日記最後の1ページに託された。

 

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(作・まみちゃん)


えんそくは、とてもたのしかったです。
たべたし、わらいました。

どうぶつはくさいけど、たまにはいいな。

なんでぼうしかぶってるの?(本当の子供の声)

わたしたちにもわかりません。おとなになるってそういうことなんだよ。

 

 

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(作・マクモさん)

ひさしぶりのどうぶつえんとってもたのしかったです。

ぼうしのおかげでみちゆくひとびとにこうきのしせんでみられたけども

よいおもいでになるでしょう。

 

 

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(作・なっちゃん)

ビールをひるまから、どうぶつえんでのむということは、

よい休日ということ。

また、ますずしもうまい。

 

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(どうやらみんな楽しかったようだ)

 

みんなの絵日記をみて、安心した。

こんな無茶な企画に付き合ってくれて、それだけでいい友達を持ったと思ったけれど、

純粋に楽しいと思ってくれて本当によかった。みんなに感謝感謝だ。

 

童心に帰るとか、はしゃぐとかっていうのは、一人では叶わないこと。

大人でもこどもでも、理解ある仲間がいるからこそ、心の底から楽しい時間を共有できるのだ。

 

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(楽しいことに大人もこどもも関係ない)

 

紅白帽を脱いで、いつもの大人の姿に戻った私たち。

明日も仕事だけれど、それでも、楽しいことや生きる希望がないわけじゃない。

この仲間たちがいる限り、楽しい時間や笑顔はいくらだって作り出せるのだから。

 

写真 (2)

(ちなみになっちゃんはこの後仕事だ。ごくろうなこったである。)

 

 

 

無邪気になりたい大人の遠足-1

 

 

こどもらしいエピソードの一つに

「遠足が楽しみで夜寝れない」というのがある。

 

ふと気が付くと、最近はそんな無邪気な理由で寝つけないことはなくなった。

明日は社外プレゼンだから寝れないとか、寝たら朝が来るのが怖くて寝れないとか、

常に社会に切迫される私たちは、涙ぐましい理由で寝つけないことばかりだ。

 

しかし、大人になったいまだって、たまには思い切り無邪気になりたい。

屈託のない笑顔で「ヘケ!」とか言いたい。

だから行こう。大人だけど、大人だから、遠足に。

 

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(行くぜ!遠足!)

 

 

 

上野動物園で遠足をしよう

ということで、唐突ではあるが友人と私を入れた4人で

上野動物園で遠足へ行く、『大人の遠足』を急きょ企画。

社会に疲れた人々が参加するこの大人の遠足には、

気軽に童心に帰れるアイテムが必要だと思い、

「紅白帽」と「絵日記」を用意した。これで遠足気分も上々だ。

 

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(無邪気な自分を取り戻すための遠足グッズ)

 

要は、みんなに紅白帽を被ってもらい、宿題の定番である絵日記を描いてもらうスタンスである。

大人になって、強制的に絵を描かされることもそうそうないので、

おもしろい絵日記を描いてくることは必至だろう。

思いつきにしてはいいイベン…遠足になりそうだ。

 

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(遠足のしおりはPDFで送った)

 

企画が決まってから気が変わらないうちにすぐ日取りを決めた。

6月2日(日)午前10時に公園口改札集合、と連絡網でなく各自にメールで連絡。

しおりがPDFというののも非常に大人っぽいが、気持ちは童心である。

大人だって、楽しいことのためには全力を尽くすのだ。

 

 

■ 6月2日(日)晴れ

待ちに待った、遠足当日の朝。

「寝坊しました」というメールが3人中3人から届いた。

 

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(遅れますメールが続々)

 

みんな実家を離れているから、朝起こしてくれる人がいない。

朝寝坊せねば親の恩は知れぬ、とでもいうのか、

大人になるということは、お母さんのありがたみを知るということなのかもしれない。

 

集合時間から1時間ほど経って、遅刻した友人たちがやっとやってきた。

(私は大人なので喫茶店で暇つぶしてた)

痺れを切らした私は、さっそく遠足グッズを配り、紅白帽を被るよう促すが、

みんなやや恥ずかしがっている。

それもそのはずだ。われわれは大人なのだから。

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(紅白帽がはいらないのも大人だからだ)

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(私は一時間前からかぶっているので大分なじんできた)

 

若干1名がまだ到着していないが、時間も押しているので

とりあえずこの3人で紅白帽をかぶって上野動物園にむかうことにした。

 

 

 

いざ、入園

入り口前で券売機の列に並び、入場券を買う。

「大人:600円 小学生以下:無料」

この扱いの差に一瞬めまいがしたが、社会人だからきちんとお金を払った。

紅白帽を被った大人が入場券を切ってもらう様は、なんとも形容しがたい光景だ。

 

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(帽子を被っているだけなので決して迷惑行為ではない)

 

とりあえず入園したところでひとつ絵日記を描いた。

ちなみに、これからも園内を回るごとに随所で絵日記を描くかたちで遠足が進行する。

 

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(みんなわりと真剣に描く)

 

デザイン科を出てる私たちは、多少なりとも絵に親しんで生きてきた。

巧拙はともあれ、描くということは楽しい。

久しぶりにペンと紙を持たされて、ワクワクする様子がみんなからうかがえる。

 

描いてもらった絵日記すべてを紹介するのはスキャンが面倒なので、

ハイライトでご紹介したい。

 

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(作・やっぱんつ:実際に結構見られた)

 

 

初の絵日記を書き終えしょぼしょぼと進んでいくと、長い行列に遭遇する。

そう、上野といえばこの行列の先にいるパンダだ。

出産を控えたパンダのシンシンは、近々公開が中止になるとのことで、

週末で観れるのは今日が最後らしい。

元気な子を産めよ、シンシン。

 

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(銃殺されたようにも見える)

 

2

(作・なっちゃん:毛の多さをクーピーで表現できない)

 

その後も動物を見ては立ち止まり、絵日記をもくもくと描いた。

描いていくうちに、絵がヘタクソな自分にムキになってきたのか、

無駄に気合いを入れて没頭する大人たち。

が、気合いを入れたところでヘタクソなものはヘタクソであった。

 

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(作・マクモさん:単純に気持ちが悪い)

 

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(作・なっちゃん:想像で描いた性欲の強そうなトラ)

 

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(作・やっぱんつ:私の絵日記はなんでこんなに汚れてるのか)

 

そこら辺の小学生が描いた方がうまいんじゃないか、と思えるクオリティだ。

学生時代にデッサンをやっていたとは思えない出来である。

このヘタクソさをなにかのせいにしたいところだが、

ダイソーで買ったクーピーは100円にしてはなかなかの品なので、

やはりわれわれに決定的に絵のセンスがないことが原因であるといっていい。

 

そんな有様に落胆しているところで、遅れてきたもう一人がやってきた。

 

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(人数が増えるとそれなりにおかしい)

 

後からやってきたまみちゃんは、一言でいうと毒舌だ。

歯に衣着せぬトークで周囲の信頼を一気に集めている(どんな表現だ)のだが、

そんなまみちゃんが席に着くなりこういった。

 

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「うち、動物嫌いやねん」

 

耳を、疑った。

こどものように遠慮のない言葉が砲丸のように飛んできたのだ。

だって、まみちゃんに「どうぶつが、きらい」と言われるのは

「ぱんつさん、きらい」と言われるようなものだ。

私がこの動物園遠足の主催者なのだから。

 

この一言で一気に継続の危機にさらされた大人の遠足。

果たして、無事遠足は感動のフィナーレを迎えられるのか!

 

次に続く

 

 

 

 

やや渋谷を散歩してきた

 

 

私は、ちょっと時間ができると、ふらふらとあてもなく歩いてしまう。

つまり散歩好きなのだ。

散歩の醍醐味は、目に留まったものを、立ち止まってちょちょっと見に行けるところにある。

私が思うに、散歩好きの人の大半は「街にあるヘンなもの好き」なのだ。

そして、私の知ってる散歩好きの人々は、ヘンなもの同様程度に、ヘンだ。

 

 

 

 

先週は微妙な時間ができたので、代々木上原・松濤・神泉・円山町エリアを散歩してきた。

特に松涛・円山町エリアは、日本で唯一高級住宅街とラブホテル街が隣接する場所だ。

人生の栄光と転落を絵にかいたような街を、写真とともに振り返る。

 

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(なんかデジャヴなキャラクター。誰かご存じありませんか?)

 

 

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(アパートに恵比寿。ここは富ヶ谷)

 

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(途中で自分が履いている靴がやけに気持ち悪いことに気づく)

 

代々木公園駅を降りて、富ヶ谷、神山町、松涛を抜ける。

松涛はおなじみの高級住宅地だが、最初こそ「でかい家だ!すごい!」と思ったものの

歩いてるうちにどの家も全部同じに見えてきた。

途中「このお宅知りませんか?」とサザエさん劇中さながらに声をかけられたが、

「私は松涛の人間じゃありませんごめんなさいすいません」といって去った。

セレブからは程遠いやっぱりぱんつだ。

 

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(円山町の高低差がすごい)

 

東急百貨店前どおりを抜けて、円山町に入った。

ちょっといくと道玄坂に続くこの町は、渋谷でも有名なラブホテル街。

5年ほど前に一世を風靡した某占い師のスナックも、この町にある。

いやしかし、この町、本当に高低差がすごい。階段上ったり降りたりで、

迷路のような町だ。途中サラリーマン風のおじさんと6,7回すれ違った。

あんたも迷ってるのか、と話しかけそうになった。

 

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(東電OL殺人事件の現場)

 

円山町を歩いているうちに、井の頭線・神泉駅が見えてきた。

そしてその横には、かつて世間を騒がせ、

犯人とされていたネパール人が冤罪で釈放された話題が新しい、

東電OL殺人事件の現場が禍禍(まがまが)しく残っていたのだった。

 

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(遺体が発見された101号室)

 

私はこの事件を、桐野夏生氏著書「グロテスク」で知った。

昼はエリートOL、夜は娼婦という堕落の道をたどった理由は、

いかなる者にもわからないし、わかりえないことだと思う。

いずれにせよ、ゴビンダさんを犯人に仕立て上げたせいで、

真の犯人が捕まらなかったのは、非常に残念なことである。

 

 

 

 

 

このあと、東電OL殺人事件の現場を見た興奮で、円山町で時間をつぶしすぎた。

歩き疲れたせいか、ほとんど写真も撮っていない。

大急ぎで代々木上原まで戻らなくてはと、せこせこと進んでいるうちに、

しまっていたカメラを思わず取り出さざるを得ないものが、目の前に現れた。

 

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(描いてあるカップルの絵の様子がおかしい)

 

ちょっと待て、これは近隣の小学生や中学生が描いたものだろう。

春の小川、それはわかる。

なぜカップルがいかがわしい雰囲気なのだ。

 

IMG_1136 - コピー

 

渋谷区に住む小中学生にとって、カップルとはこういうものなのか。

描かれてしまったものは仕方がないが、私は誓う。

お金持ちと結婚して家庭を持っても、渋谷には住まないと。

 

 

キング・オブ・魚卵-3

はじめから読む

ひとつ前から読む

 

 

 

至極白熱を極める「キング・オブ・ギョラン杯 2013」が、

ついに、ついに準決勝までたどり着いた。

写真 (1)

(波乱の予選結果。どの魚卵も奮闘した)

 

 

と、いいつつ。

正直、まとめるのに飽きてきている。

平生よりひとつのことが長続きしない私は、ありとあらゆることに飽きてきた。

ハリーポッターは2ページで飽き、ギターを与えられては1カ月で飽き、

会社に勤めては半年で左遷された。

最後のはちょっと違う気もするけども。

 

今回もそのパターンなのか。いや、でも書かねば気が済まないのもある…

そんなさまざまな葛藤があって、この第3部の執筆が遅れてしまった。

ああ、中間はないものか。

書かねばならぬという想いと、飽きちゃったという心中の、ちょうど中間が。

 

写真-(4)

(はい、結果です)

 

と、いうことで、準決勝も決勝もすっとばした。

結果だ。キマった。キング・オブ・ギョランの座は数の子に決定したのである。

 

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(数の子本人が一番驚いていたと思われる)

 

あのいくらと勝負して勝ってしまった数の子。

誰も予想しなかった勝利である。というか、いくらが負けるなんてあり得ない。

その勝因には、ギョランパーティのリスキーなルールが関係していた。

 

 

 

 

数の子の勝因 – 1

魚卵を食べ過ぎて口が塩辛さのピークだった

 

これが一番大きい。合計12回(うち手巻き10本)魚卵を食べたお口は、

徐々に塩辛さを増して、味に対する正しいジャッジを下せなくなっていた。

最終的にさっぱりした数の子を選ばざるを得なかったのだ。

これはトーナメントとルールによって縛られた結果と言える。

 

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(シード権を与えられつつも優勝できなかった無念そうないくら)

 

 

数の子の勝因 – 2

食べたことがなかった

 

いくらは定番すぎて、ああ、いくらいくら、程度のものであったが、

数の子は寿司という土俵での初めての味わいだったため、意外なおいしさに意表をつかれた。

とどのつまり、新しい物好きな女子の心を射止めたのだ。

 

 

数の子の勝因 – 3

意表をつきにいった

 

お腹がいっぱいになっていて、だれが言ったかはまったく覚えていないが、

ボソリと「これで数の子が勝ったら歴史がかわりますよね」という声が聞こえた。

私をはじめ、その声をみんな聞き逃していなかった。

そして思ったのだ。

「歴史を変えたい」、と…。

 

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(致命的なことに、実際のトーナメント表は書き方が間違っていたというオチ)

 

結果としてキング・オブ・ギョランは数の子に決定したわけだが、

どの魚卵も大いに奮闘し、我々の舌に感動と刺激を与えてくれた。

 

まったく趣旨も方向性も考えていない会だったけれども、

なんだかんだでとてもおいしかったし、なによりすごく楽しめた。

そしてやっぱり最後まで趣旨はわからなかった。

 

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(最後の1本の一コマ。目から魚卵が出てきそうだ。訳:泣けてきた)

 

食した魚卵1粒1粒にも、心から感謝したいと思う。

地球が丸いのは、魚卵が丸いからだと思えてくるほどに、

以前以上にさまざまな魚卵を好きになることができた。

 

たとえ明日、塩分で顔がむくもうとももう構わないのだ。

今がおいしければそれでいいのである、と、

魚卵のからみをビールでうるおしながら思った次第である。