今日の給食がカレーであるかどうか

 

「今日の給食はカレー?」


3歳のむすこはカレーが大好きである。

お正月明け初登園の1月6日の朝、彼がまず気にしたのは「今日の給食がカレーであるかどうか」だ。

 

我が家は卓上カレンダーに献立が記入してある。日付や曜日に関心を持ってもらおうと考えた、子煩悩でまめな夫の字だ(拡大推奨)

 

見てみるとなんとカレーは28日だ。だいぶ先である。だいぶ先なので、だいぶ先だと伝えた。

彼の顔はガッカリしている。3歳児に日付の感覚はまだなく、22日後といってもピンとこないだろう。しかたなく「今日の給食はミートローフとポテトサラダだよ」と伝えるが、表情は変わらない。今日の給食はカレーじゃない。彼にとって給食は、カレーとそれ以外なのかもしれない。

 

カレーは28日。

 

給食のカレーはあまりにだいぶ先なので、翌日の夕飯にカレーを作ることにした。1月7日、七草粥なんか糞食らえ的に、カレー。胃への優しさとは相反する食べ物だが、むすこが22日間もカレーを待てるとは思えない。胃には優しくできなくとも子供には優しくありたい。

そんなこんなでカレーを作って保育園から帰宅したむすこは想像以上に大よろこび。「カレー!カレー!」と興奮しながら山盛りのカレーライスを平らげた。これでしっかり彼のカレー欲は満たされただろう。

そのせいか、翌日の朝、彼は「今日の給食はカレー?」と聞かなかった。

 

と、思ったのも束の間、聞かなかったのはその日だけで、次の日の朝は聞いた。目をキラキラさせ、カウンターに置いてある卓上カレンダーを眺めながら「今日の給食はカレー?」と。もしかしてこれ、毎日続くのか。

 


〜給食がカレーの日まで残り19日〜

ノースリーブとサッカー

むすこが突然サッカーをやりたい!と言う。

わたしも夫もサッカーどころかスポーツに無縁な生活を送っているにもかかわらずだ。

しかし思えば我々が住んでいるのは葛飾区、葛飾区といえばキャプテン翼、ボールは友だちという狂おしい世界である。であれば決してサッカーと無縁とはいえない。わたしもノースリーブを着て会社に行ったら日向小次郎に似ていると言われた過去がある。むしろ因縁である。サッカーボールを買う理由はそろっていた。

今日は外で初めてボールを蹴った。
5分くらいで飽きて花を摘んでいたむすこ。「サッカーたのしかったねー」と言いながら帰宅した。本当かよというスピードで飽きていたように見えたが、まあ楽しかったならよかった。
わたしも少しサッカーを勉強せねば。

親の足の裏が硬い

 むすこが2才半になり、行動や言動がどんどん子どもらしくなってきた。と同時に「あ、これ私も小さいころ同じことをしていたな」と忘れていた記憶がよみがえることが増えている。
  このあいだ、むすこが私の膝に座って私の足の裏の硬い部分を爪でカリカリしながら「これどうしちゃったの〜?いたいの〜?」と聞いてきた。私はハッとした。私も自分の父親の足の裏の硬い部分を爪でカリカリしながらその硬さに驚き「これどうしたの?」と聞いたことがあった。とても些細でどうでもいい記憶だ。だが確かに私の父親の足の裏も硬かった。それがいつのまにやら、足の裏が硬い側になってしまうとは。時は流れるものである。

 最初に「子どもらしくなってきた」と書いたが、我々が言う子どもらしいって結局は「子どものころの自分や友達がそうだった」の集合知なのだろう。時代は移り変わるので、その物差しだけで子どもらしさを語るのは良し悪しがあるが。その前提があったとして、子どもが「親の足の裏が硬い」と指摘することは、私は大変子どもらしいと感じる。

実際の足の裏の写真は胃もたれするくらい硬かったので絵にした

夫の出張中に羽を伸ばしてみた

(データ整理していたら出てきた2年くらい前の記事です。マイナビウーマンから依頼を受け執筆しましたが、そういえば掲載がされていなかったのですっかり忘れておりました。久々に読んでみたらもったいないくらいには体を張っていたのと、あとお盆も近いので、ブログに掲載して供養いたします)

 

結婚すると感じる、独身時代との違い。それは、決定的に「自分の時間がなくなる」ということだ。
女性の場合、専業主婦であれば自分の時間はまあまあ作れるであろうが、今を生きる「共働き派」の女性は特に、自分の時間を持つことはなかなか難しい。私も結婚して2年になるが、1人暮らしをしていたときに比べると圧倒的に自分の時間が減っている。仕事を終え、買い物をして帰宅し、帰ったらすぐごはんの支度をし、そして支度をしている間に夫が帰ってくる。どうだ、私も振り返ってみるとほとんど自分の自由な時間はないではないか。
夫が見ないSFのDVDをまとめて借りてきてポテチ食べながら鑑賞したり、仕事終わりにザギンでグッピンショ(銀座でショッピング)してみたり、独身時代には当たり前にできていたことが、今となってはやや遠慮してしまうようになった。不思議なものである。

そんなことを考えていたある日、突然夫が「明日から2日間出張になっちゃった」と言い出した。え、マジ? 久々に私、一人になれるの? 夕飯の支度をしないでマクドナルドとか、食べていいの?

■とにかく羽を伸ばしたい
夫が出張でいない。
冷静に考えてみよう。夫が出張でいないということは、妻である私は、その間自由に羽を伸ばすことが許される。先にも述べたが、夕飯にマクドナルドとか吉牛とかを食べることもできるのだ。でも、羽を伸ばすのであれば、せっかくだからおもいっきりやりたい。今回夫が出張するのは土・日の2日間なので、この休みの間にめいっぱい羽を伸ばすとしたら、やっぱりそれは……

1<実家に帰ってきました>

 

これだ。土日に夫がいないとなると、遠出をするのが一番いい。でもあまりお金もかけたくないので(主婦の思考だ)ごはんがおいしい実家に帰るのがベストなのである。実際に羽も身にまとい、まるで、まるで私は自由の象徴だ。私はどこまででも飛んでいける、自由な主婦であり、自由な鳥なのである。

 

2
<じゆう>

 

自由。自由とは、心のままであることだ。他者などの外的束縛がない、まさしく大空を悠々と羽ばたく鳥。
しかし自由とは、人間が生み出した概念だ。きっと鳥たちは、自由という思想自体とらわれない、真の意味での自由な海で、生きる舵を取っているのだろう。つまり私たちが想像している以上に、彼らは、ずっとはるかに自由なのだ。

 

3
<服は「G.U.」ではない>

 

4
<畑にいたおじいちゃんに草むしりを頼まれた>

 

自由、自由と連発しているものの、私は決して夫との結婚生活に嫌気がさしたわけではない。こう見えても新婚で、夫は仕事が忙しくなければごはんの支度もしてくれるし、雨が降ると職場までクルマで迎えに来てくれたりすることもある。私の負担が大きかったことなど、今まで一度もないのである。
だがしかし、それとこれとは話が別だ。羽を伸ばす、ということ。それは、家事の負担を減らしてもらうことでも優しくしてもらうことでもなく、私というひとりの主婦が、自由という名の物語の主人公になるということなのだ。だからもう、誰にも止められない。私の目の前に広がるのは、コスモ。果てのない広い小宇宙だけなのだから。

 

5
<なつかしいなー、竹馬>

 

6
<なぜか飛びそうな体制になった>

 

7
<結構必死である>

 

8
<何をしているのかわからない>

 

ここまでに雄大に、はち切れんばかりに羽を伸ばしてみて、少し気づいたことがある。自由の中にあるものは、いったい何だったのか。私があれほど手にしたかった自由は、主婦である自分からの解放は、果たして私が本当に望んでいたものだったのだろうか。

 

9
<田舎だ>

 

10
<これもちょっと飛びそうである>

 

不思議だ。不思議なことに、とても自分の家に帰りたい。
私という妻は、私の夫とともにあり、夫のためにごはんを作って、一緒に食べて、たまにケンカもして、それでも一緒に、当たり前に暮らす。そんな日々が好きだったのだ。その中に「自分の時間」がないことなど、どうでもいい。私にとって「自分の時間」とは、「夫とともに生きていく時間」なのだ。私はなんてバカだったんだろう。背中の羽を大きく羽ばたかせて、さあ帰ろう。夫が帰ってくる前に、夕飯の支度をして。

 

11
<ごめんね。夫>

12
<いま、会いにいきます。(チャリだけど)>

似てるが伝わらない

「あの人○○に似てる!」というのが他人にまったく伝わらないということはよくある。

わたしもこのあいだ、仕事で会った人があまりにも「おみやげ屋さんで売っている小さいお餅」に似ているなと思ったので、その人に似ている小さいお餅の画像を検索し、会社の人に「あの人これに似てますよね!?」と聞いて回ったのだが、誰からも、まったくといっていいほど同意を得られなかった。

そういえば、小さいときにものまねバトルで司会をしていた研ナオコさんを見て「鶏そぼろ弁当みたいな人だなあ」とか思ったり、ヤワラちゃんの試合を見ていて「強い蒸しパンだ!」と思ったりしたけど、たしかにそのどれもが他人の同意を得られなかったような気がする。

ただ最近「カルロス・ゴーン氏がMr.ビーンに似ている」というのは、大多数に理解された。これはとてもうれしかった。みんな同じこと思ってたんだなあ、というのはなんだかうれしい。

もしかしたら食べ物に例えるのがいけないのかな。でも、いったん似てると思っちゃったものは似てるんだからしょうがないよね。おみやげ屋さんに売っている小さいお餅だ!って思っちゃったら、もうそれにしか見えないんだもの。ああ、おなかがすいてきた。

 

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<仕事で会った人に似ている、お土産屋さんに売っている小さいお餅>
ごま摺り団子  (菓子匠 松栄堂)

無題のお悔やみ

先日、祖父が89歳でこの世を去った。大往生といっていいと思う。最期は静かに息を引き取ったそうだ。

祖父のことは大好きだったから、畑の枝豆を一緒に掘ったりとか、家の前の川でザリガニ釣ったりとか、私が作ったウンコファイターズの話をまじめに聞いてくれたりとか、祖父が手作りした将棋盤と駒で将棋差したりとか、あと将棋はちょっと手加減してくれたりとか、そのすべてが楽しく鮮明に思い出されるけど、でも時間は確実に流れていて、私はもう喪服持ってないと不便なくらいには大人だし、祖父はぽっくり死んでしまうくらいには老人だった。ああ、ほんとうに死んでしまったんだなあ、おじいちゃん。おじいちゃん。

出棺のとき、遺影を抱えた母のくたびれた背中を見ながら、やっぱり肉体は老いたくないなあと思ったし、あとこういう話題はとくに最後だからといってとりあえずの「今までありがとう」とかいうのでまとめるのはなんとなく決まりが悪い。私としては。私としてはやはり言いたいことは言っておかなくてはいけない。うん。そうだ。

ねえおじいちゃん、最後まで聞けなかったんだけど、リンゴをすりおろしてご飯にかけて食べてたやつ、あれおいしかったの?

 

ピンチョスで知育しよう

 

突然だがみなさんは「ピンチョス」という食べ物をご存知だろうか。

 

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(こんなの。セレブっぽくてみてて緊張する

 

ああ、これね、と思った人もいるだろう。おしゃれな立食パーティーとか、おしゃれなウエディングパーティーとか、とにかくなにかしらのおしゃれなパーティーでよく見かけるやつだ。
つまようじや串であらゆる具材を刺し、食べやすいようにしてあるのが特徴で、まあまず家庭では見ない料理だとおもう。「お母さんこれ作って」なんて頼んだら、お母さんが機嫌を悪くするくらいには、まあまあおしゃれで非日常的な食べ物である。

 

で、急に話は変わるのだが、わたしはおもちゃの会社で企画開発の仕事をしている。新しいおもちゃを考え、商品化する仕事だ。
なので仕事柄、いろいろなおもちゃ(大人のではない。こどもの。)に触れる機会があるのだが、最近「知育玩具」についていろいろ調べていた。知育玩具とは、幼児や児童の知能的発達を促進するためにつくられた玩具のことだ。代表的なのはLEGOとかで、まあパズルとかも含めてあんなの全般を指すんだけど、調べていく中でみつけた知育玩具に、とある重大な秘密があることに気がついてしまったのである。

 

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(調べていて興奮したのでうっかり取り寄せてしまった知育玩具がこれ。7,600円。)

 

……おや?

もしかしたら、勘のいい人は気づいてしまったのではないだろうか。
わたしのいいたいこと。
そう、この知育玩具、ピンチョスに似てるのである。

 

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(ほら、ピンチョスだ!)

 

これはなんたる発見だろうか。積み重ねてから刺すか、上から刺していくか、という微妙な性質の違いはあるが、これ以上の驚きはない。これはなんたる未知の遭遇であろうか。

このような大発見をしてしまった以上、わたしは責任を持ってこの知育玩具とピンチョスを結びつけた遊びを考えなくてはならない。いや、べつに誰もそんなこと求めていないんだけど。でもやはり、おもちゃの会社で働く身として、それは絶対にやらなくてはならないのである。

 

 

と、いうことで、ピンチョスで知育する「知育玩具ピンチョス会」を急遽開催することにした。

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(メンバーはいつもの3人。「動物嫌いやねん」のまみちゃんと魚卵のマクモさん。)

 

ピンチョスをするにはまずカタチから入らねばならない。ピンチョスはおしゃれな食べ物なので、それにあったおしゃれな格好をするべきである。なので今日はみんなちょっとおしゃれな格好をしてきてね、と伝えた。

 

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(わたし的「ピンチョスを食べるに然るべき格好」)

 

この格好がおしゃれかどうかということは置いておいて、キマっている。ちなみに清澄白河駅のB1出口前だ。光がいい感じである。
(自分ではキメたつもりだったのだが、あとでこの写真とほぼ同じ格好だということに言われて気がついた。恥ずかしい。)

 

さて、格好がキマったら次は買い出しだ。
ピンチョスをするための食材は、知育玩具のようカラフルでなくてはならない。わたしが買った知育玩具のカラーリングを元に、食べ合わせなども考えながら慎重に食材を探す。

 

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(ふだん絶対買わないものがそろいます)

 

選ばれた知育食材がこれらだ。

 

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(わ〜!おっしゃれ〜!)

 

超おしゃれだ。この色並びだけでもだいぶハッピーになるし、刺激的である。毎日こんなカラフルな食卓だったら、きっとこどもの感性も研ぎ澄まされていくに違いない。

ちなみに食材は下記の通り。

 

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(赤:トマト、いちご、梅干し)

 

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(橙:オレンジ、サーモン、よっちゃんイカ)

 

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(黄:卵焼き、かぼちゃ、パイナップル)

 

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(緑:キウイ、アボカド、ズッキーニ)

 

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(紫:レッドオニオン、ブルーベリー、ホタルイカ)

 

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(青は白で代用:クリームチーズ、マッシュルーム、餅)

 

よっちゃんイカがやや異端児感を否めないが、まあとりあえずやってみるに越したことはない。

まず簡単にルールを説明しよう。

 

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(実際の知育玩具のルールにのっとってピンチョスする)

 

この写真の「木の板」の指示に沿って、色に合わせた食材をピンチョスしていく。板はいくつも種類があるので、食材の組み合わせも無限にあるのだ。

なんてこったい、これはけっこう頭を使うぞ。

 

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(無限の可能性たち)

 

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(この木の部分はバゲットで。フランスパンじゃないわ。バゲットとお呼び。)

 

準備も整ったことなので、さっそく知育ピンチョスに取り掛かろう。
まずはまみちゃんから。引き当てた木の板はこれだ。

 

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(赤と黄色と紫しかない!)

 

なんと! この限られた色合いの中で、彼女はどんな食材を選択するのか。
もうすでに、私たちの知育は始まっているのである。

 

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(「ホ、ホタルイカからいくかなあ…」と弱腰のまみちゃん)

 

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(すげえ刺しにくい。ピンチョスってこんなに手が汚れるのか)

 

最初はつまようじでチョしていたのだが(刺していたのだが)、どう考えてもつまようじの長さに食材が入りきらないので途中で竹串に変更。

ううむ、それにしても刺しにくい。おかげでどんどん手が汚れていく。あれ? ピンチョスっておしゃれで食べやすい食べ物じゃなかったっけ?

自分たちのピンチョスにそんな不信感を感じつつ、ひとつめの知育ピンチョスが、いまここに完成した。

 

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(うおー! これぞ求めていた知育ピンチョスだ! )

 

うお、うおおおおおおおおお!
これぞわたしが求めていた、ピンチョスと知育玩具の共存である。すばらしい絵面だ。

ちなみに食材は上から梅干し→卵焼き→ブルーベリー→トマト→かぼちゃ→ホタルイカ。こうやって書き連ねると、ちょっと心配な組み合わせだ。
ていうか問題は味なのである。知育ピンチョスは見た目以上に「食べ合わせ」というものを考えるのがもっとも重要なのだ。そこにいちばん頭を使う。さあ、気になる味はいかに…。

 

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(「あー……うん。なくは、ないかな」とまみちゃん)

 

なくは、ない。
おそらくそれは、「あまりおいしくない」ということだ。食べれなくはないが、おいしくはない。
食材と食材が、奇跡のハーモニーを奏でなかった。つまり、まみちゃんの知育ピンチョスは、こんな言い方をしたくはないが、やや失敗していたのである。
しかし、失敗は成功のもとだ。失敗があってこその知育、失敗があってこそのピンチョスなのである。

 

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 (「がんばるぞお〜」と張り切るマクモさん)

 

まみちゃんのやや失敗した知育ピンチョスをよそに、マクモさんは張り切っていた。「わたしがまみちゃんの失敗を生かしてみせる」と言わんばかりに、わくわくしながらパーツを組み立て、ピンチョスを作り出していく。

 

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(上からマッシュルーム→トマト→ズッキーニ→よっちゃんイカ→レッドオニオン→卵)

 

おお、なるほど。よっちゃんイカ以外は悪くなさそうな組み合わせだ。だが、実際に食べてみると、まったく予期しないところでマクモさんは重大なミスを犯していたのである。

 

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(「たまねぎ、カラい」と言ってこのあと盛大にむせる。)

 

刺したレッドオニオンの量が多すぎたのだ。 おしゃれなサラダに入ってるレッドオニオンだから、大量に食べてもカラくないと高をくくっていたのである。このあとしばらく彼女は涙目だった。というか、何を食べてもたまねぎの味しかしなくなった。これは痛恨のミスである。

おっと、そんなこんなでわたしの出番が回ってきたぞ。

 

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(上からクリームチーズ→卵→梅干→アボカド→いちご→パイナップル→餅)

 

真ん中の組み合わせがやや心配なピンチョスが完成した。
そして、その心配は的中した。

梅干とアボカドの組み合わせの悪さが、飛び抜けて秀逸だったのである。
マクモさんとは違う意味でむせた。びっくりした。

 

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 (なんかもう、ふつうにピンチョスしない?という声)

 

疲労だ。疲労感しかない。
知育ってこんなに疲れるのか。いやこれはピンチョスに疲れてるのか。どっちだ。
いや、どちらにせよ頭を使うというのは、すごくエネルギーを使う。この知育ピンチョスは、頭を使うわりにカロリーが摂取できないという難点があるのではないだろうか。

 

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(結局ふつうのピンチョス会がはじまった。安心して食べれるぞ)

 

むしろ、知育というのはピンチョスに限らないと思う。どのような組み合わせでどのようにおいしくできるのか、どのようにおいしくみせるのか、というのは、料理全般に言えることだ。おいしい料理は、こどもの健やかな成長を促す。知育っていうか、食育か。それは。

とどのつまり、この「知育玩具ピンチョス会」は、知育でもピンチョスでもなんでもない、悲しいので言いたくないが、言ってしまえばただの徒労だったのである。

 

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(まあこの美しい色合いが見れたのはなかなかよかったけれどね)

 

徒労とは言ったが、それでも「ピンチョスと知育玩具は共存し合わない」ということはよくわかった。(最初からわかってた気もするけど。)「食べ物で遊ぶな」というのは、つまりこういうことなのかもしれない。おいしくないものができたら、悲しいもんな。

知育ピンチョスはちょっとアレな味だったが、あまった食材はすべてふつうにピンチョスして完食したので安心してほしい。
あと家でピンチョスはするものじゃないと思う。散らかる。これは間違いなく今後の人生の教訓になるだろう。ピンチョスは作るより提供されるものだ。

 

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(果物だけだと有楽町駅前の果物屋で売ってるやつになる。もうピンチョスがわからなくなってきた。ピンチョスこわい。)

 

音姫がなくても大丈夫な世界にしたい

 

「ここのトイレ音姫ついてなくて超あせったぁ〜」

 

トイレの前の休憩コーナーで本を読んでいたら、そんな言葉が聞こえてきたので、
わたしはふと声のするほうへ視線を送った。
若い女の人かな、と思ったら案の定、ふわふわの巻き髪をぶらさげた、百貨店の1階みたいなにおいのするOL風の女だった。

ははん、キミは音姫ないとダメな人なのね。ふうん。

 

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<音姫、ことトイレ用擬音装置。音姫はTOTOの登録商標だ。>

 

 

音姫というのはどうも苦手だ。
わたしの意見としてはむしろ、なんであんなものあるの、って感じ。
だってアレ、使うほうが恥ずかしいじゃないですか。
あの「いまわたしのこの恥ずかしい行為をなかったことにしてます」感、ほんと恥ずかしい。

あ、ていうか男の人はあまり、音姫に縁がないのよね。知らない人のために説明しておくと、音姫は女性的に恥ずかしいとされる「排泄音」を水のせせらぎの音でかき消してくれるトイレ用擬音装置だ。基本的に最近の女子便所にはだいたいある。「音姫」というのはTOTOの登録商標で、INAXは「流水音」という名前だったりするが、機能自体の一般名詞としても「音姫」が主流になっている。

ぶっちゃけあのわざとらしい水のせせらぎの音がけっこう不快で、そんな音でかき消せるほどわたしのウンコは軟弱じゃない!とかよくわからない対抗意識さえ生まれるくらい。音姫を使わないわたしとしては、かなり余計なお世話感にあふれる音なのである。ほんと、あんなもの使う意味がわからない。

 

■音姫が必要とされる理由

といってもわたしは、自分の排泄音にも他人の排泄音にも特になにも感じない、かなり排泄音に関しては無頓着なタイプなので、結構ズレているんだと思う。やはり音姫が一般化している以上、音姫が女性にとって「なくてはならないモノ」であるという事実は明白だ。

では、なぜ音姫は必要とされているのか。その答えは想像できるとおりで、自分のウンコのブリュブリュ音を他人に聞かせるのは申し訳ないからである。(もちろんおしっこのしゃーしゃー音も)つまりは気づかい、エチケットとして音姫は必要とされている。

しかしそれとは別に、「排泄音=恥ずかしいもの」だと決めつけて排泄音を嫌悪するタイプの人がいる。このタイプは前者と大きく違い、気づかいという精神を超えて「排泄音を他人に聞かせるなんてありえない」と思い込んでいるのだ。これは結構厄介なタイプで、どう厄介かというとまあ小学生のときによく「あの子いまウンコしてるんだよ」ってみんなにウワサする子、いたじゃない。あんな感じ。つまりは他人の排泄音を聞いて余計な想像をふくらませ勝手にイヤな気持ちになってそれをありえないとする人たちを差す。

このように、音姫の需要は「気づかいエチケットタイプ」と「自分主体のエチケットタイプ」の2軸によって支えられているといえるだろう。

 

■製品としての音姫

実際ね、製品としての音姫はとてもすばらしいものだと思うの。「わたしは必要ない」とか書いておいてほんとアレだけどホントに。だってさ、これ読んでみてよ。TOTOさんの音姫開発者インタビュー
音姫のリニューアルに関するお話なんだけど、そのプロセスがほんとうに興味深い。音消し以前に環境配慮という問題にも大きく貢献しているし、なにより流水音の作り方なんてめちゃくちゃ骨が折れる作業だよ。そうか、ナプキンを破く音まで気にしてくれてたんだ…なんて気づかされちゃったら、必要ないなんて言えなくなっちゃうよね。むしろ使いたくなっちゃうよね。
ものづくりって大変だけど、すごくいいなあと思う。勇気づけられるなあと思う。
とどのつまり、繰り返しいうけど製品としての音姫はすばらしいものなんだ。
環境にも、どんなタイプの女性にも特化している存在。それが音姫なのである。

 

 

■音姫の発見

なんて、ここ数ヶ月、このようにして音姫についていろいろと調べて関心を高めていくうちに「音姫なんていらない。」と思うわたしと、「音姫すげえ!」って思うわたしが混在する状態になってしまった。これは非常に気持ちの悪い状態である。じゃあわたしは、音姫を、どうすればいいのだ。

そんなこんなで最近は、デパートなんかのトイレに入るたびに排泄をおろそかにして音姫に気を取られてしまっている。音姫をどうしようかということばかり考えてしまって、ウンコに集中できないのだ。これは本末転倒である。それこそなんだか音姫の思うつぼである。こんなことはあってはならないのである。

でもだ。そんなことを繰り返しているうちに、音姫の音色に耳を澄ますなかで、排泄行為をする空間で流れている特異な音に、ひとつの特徴を見いだしたのである。

 

そう、考えるに、おそらく、音姫には流派がある。

 

いやこれは完全に個人的な見解なのだけど、流派というのはつまりTOTOが開発した音に微妙な違いがあるとかそういうことではなくて、音姫を奏でる(使用する)人の羞恥的観念と精神的観念よって生じる分派のことだ。
先ほど音姫の需要は「気づかいエチケットタイプ」と「自分主体のエチケットタイプ」によって支えられている、と書いたが、それを実際の使用状況と絡めて説明すると、下記のように流派が分けることができる。

 

(1)完全音姫流(自分主体エチケットタイプ)

どんな状況下においてもかならず音姫を奏でる流派。ウンコ・おしっこ・オナラすべての排泄物に対しても、またどんな人物とトイレ空間を共有しても必ず音姫を奏でる。
っていうか音姫それが当たり前。

 

(2)雰囲気音姫流(やや自分主体寄り気づかいエチケットタイプ)

親しい友人と同じ空間のトイレに入ってしまった場合や、静かなトイレに別の人が入ってきた場合などのいたたまれないシーンで音姫を奏でる流派。
したたかに奏でるのが特徴。

 

(3)排泄音姫流(気づかいエチケットタイプ)

下痢やオナラをする場合などの、排泄物の調子によって音姫を奏でる流派。
排泄物に対しての判断能力が研ぎ澄まされた人々が集まる流派である。

 

(4)無音姫流(無頓着タイプ)

音姫、ダメ、ゼッタイ。の流派。
かわりに排泄音を的確に奏でるのが特徴。

 

以上が、わたしの考える音姫4大流派だ。むしろこれ以外にないと思う。
先述したとおり、音姫以前は実際に水を流して排泄音を隠していたので、本物の流水音に対しても適応できる流派(流水流派!)と言えるだろう。

気づかいエチケットタイプ要素を含む(2)は、(3)と兼派する場合もあると思う。ちなみにわたしは、(4)だ。あ、だれも聞いてないね。

 

■でもやっぱり音姫がなくても大丈夫な世界にしたい

いやね、この流派を見いだしたのも、いろいろと女性に話を聞いてみて「自分主体のエチケットタイプ」の人が結構いることに、とっても驚いたのです。相手を不快にさせないための「音姫」から自分を正当化するための「音姫」になってる人、それが自分主体タイプの特徴。それって君たち、音姫に流されてますよ。

排泄行為は、恥ずかしいことでも悪いことでもないってことを、大人になっても理解していないのはよくない。そう、排泄行為は絶対正義なのである。そこを忘れてはいけない。

だからね、なんかもういっそ、もうわたしのように排泄音に対してなにも感じなくなれば、もしかしたら「音姫がなくても大丈夫な世界」なんていうのがおとずれて、それはそれで穏やかなんじゃないかななんて思う次第。
だって、人類みんな、ウンコもおしっこもオナラも、するんだもの。

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余談

ちなみに記録用としてこのようなページを設けた。
トイレ用擬音装置たちのページ

あと素朴な疑問なのですが、ウンコは音なんかよりもニオイの方がウッ!ってなると思うのですが、それはもう腹決めるしかないのですか。どうなの、女子のみなさん。

 

リカちゃんキャッスルに行ってきた

福島県小野新町に、「リカちゃんキャッスル」という

謎のお城があるというウワサを聞きつけた。

 

磐越自動車道 小野ICを降りてわりとすぐのところに

突如として現れるそのお城は、普通に通りすがっただけだと、

(周辺の森深い雰囲気からして)ラブホテルかなにかと

勘違いしてしまいそうな見た目らしい。

しかしどうやらそれは、女の子なら誰しも一度は遊んだことのある

「リカちゃん人形」のオープンファクトリー(工場)なんだそうだ。

 

私もこどもの頃、リカちゃんとたくさん遊んだ記憶があるので、

個人的にはかなり気になるスポットである。

さっそく行ってみよう。

 

IMG_1824(お城だ!キャッスルだ!)

 

わお! 思っていたよりもでかい! そして立派なお城だ!

このかわいらしい外観で、しかも中に工場があるとは、なんとすばらしい。

さすが、長きにわたって愛される、夢のあるおもちゃだなあと感心する。

 

IMG_1825(入り口は意外と入り口っぽい)

 

中に入ると、入り口でさっそくリカちゃんがお出迎してくれる 。

なんと、お出迎えしてくれるのはただのリカちゃんではなく、

リカちゃんのロボットなのである!

 

 

すげえ……リカちゃん、結構ぐわんぐわんしてるけど大丈夫なんだろうか……。

 

動作の不自然さとは裏腹に、かなり陽気なので、余計不安になってくる。

そんな関節の硬そうなリカちゃんを心配しながら奥に進んでいくと、

次のフロアは歴代のリカちゃんや、お店では見られないような

オシャレなリカちゃんがたくさん飾られている展示室が広がっていた。

 

IMG_1842(むかしのリカちゃんもやっぱりかわいい)

 

IMG_1847(初代彼氏、カネ持ってそうだなー)

 

IMG_1849(ガングロ!リ、リカちゃん!)

 

IMG_1856(こういう嫌なキャリアウーマンいるよね)

 

IMG_1857(ピンク髪でもカワイイ)

 

IMG_1858(バンドメンバー募集中。当方Vo)

 

IMG_1865(ゴージャスだ。玉のこしにでも乗ったんだろうか)

 

IMG_1863(これは夢に出るなあ……)

 

IMG_1861(もはやリカちゃんではない)

 

IMG_1868(個人的にこれが一番かわいかった)

 

すごい! あまりにもいろいろなリカちゃんが展示されているので、

すべてを写真におさめることができなかった。

それくらい、すさまじい種類のリカちゃんが展示されているのである。

これは、リカちゃんファンでなくても本当に圧倒されると思う。

あまりの量にリカちゃんゲシュタルト崩壊しそうな勢いだ。

 

つづいて展示室を抜け、通路のようなところに突入。

そこは、ガラス越しに工場の様子が見られるスペースになっていた。

なるほど! これがオープンファクトリーか!

 

IMG_1870(マジで工場だ)

 

そこは、あのメルヘンなお城の外観からはまったく想像できない

超現実的世界が広がっていた。

本当に、マジで工場じゃん!

 

IMG_1875(顔がタマゴのケースみたいなものの中にゴロゴロと)

 

どうやらリカちゃんファンの間では、この「リカちゃんキャッスル製」の

リカちゃん人形が人気らしい。

まぁたしかに、なんたってメイドインジャパンですからね。

 

IMG_1876(なにかを検査している)

 

IMG_1881(リカちゃんの髪の毛縫ってるー!)

 

IMG_1882(ちゃんと髪もとかしてるー!)

 

たしかに工場はただの工場であった。がしかし、中の作業の様子を見て、

なぜリカちゃんキャッスル製のリカちゃん人形が愛されるのか

わかった気がする。

 

そう。1体1体、本当に丁寧に作られているのだ。

 

リカちゃん人形なんて、たかがおもちゃかもしれない。

でもそれでも、ただのおもちゃだとしても、

少なくとも女の子の一生のうちの何分の1かを一緒に過ごす、

「大切な友達」にも近いおもちゃなのである。

これをこんなに大事に作ってくれているとは……

実家のリカちゃん人形、まだ捨てないでいてくれてるかな。

今度帰ったら、探してみよう。

 

IMG_1899(テンションが上がって帰り際に着てしまった。リカちゃんロボとおそろい!)

 

正直、リカちゃんキャッスルという施設にあまり期待していなかったけど、

このようにまんまとリカちゃんの魅力に取りつかれてしまった。

 

うん。リカちゃん、かわいいよ。

 

いつの時代も女の子の心をつかんで離さない、そのキュートないでたちは、

今日も私たちにがんばる勇気と希望を与えてくれるのかもしれない。

やっぱりリカちゃんは、この年になってもあこがれの存在なのである。

 

20140919_235741(リカちゃん誕生秘話本まで読むくらい夢中になってしまった)

 

4コマ漫画の持ち込みをしてみた

「漫画家になりたい!」

そう思い志す人はたくさんいるだろう。

「クールジャパン」と叫ばれる今、漫画というポップカルチャーは

ますます大きくなっていくと思われる。

ということで、私もそのクールジャパンな風潮に便乗し、

かねてよりやってみたかった出版社への漫画の持ち込みをしてみた。

『もしかして私も日本のカルチャーを担う存在になるかも…』

そんな淡い期待を寄せながら、ごくふつうに玉砕するまでの経緯を紹介しよう。

 

 

漫画といっても、想像力に乏しい私には

30ページを超えるストーリー漫画を描くほどの立派な話は思い浮かばない。

なので、小ネタをひとつひとつ表現できる4コマ漫画を描くことにした。

自分のTwitterやEvernoteに、いくつか小ネタは蓄積してある。(おもにダジャレだけど)

よし、そうとなったらまずは、つけペンとインク、あと原稿用紙を買いに行こう。

 

2014-05-06 12.43.19

<これらがあればなんとかなる>

 

4コマ漫画専用の原稿用紙なんてあるのか!と驚いた。

あらかじめ4コマの罫線が入れやすいよう、アタリが入れてあるのだ。

なるほど、これでサクサクモリモリ漫画が描けるぞ。

 

4コマ漫画界でも最大手の某出版社への持ち込みを決めた私は、

規定数である5ページを、3週間かけて描きあげた。

だいぶ時間を要したと感じるが、それだけ漫画を描くというのは大変な作業なのだ。

さて、その漫画がこれだ。

 

1

 

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3

4

5

 

いかがだっただろうか。

今改めて読むと、言葉遊びに走りすぎて、オチが弱いと自分でも思った。

まあ、それが持ち込んだ結果のすべてなのだが。

 

 

そうはいっても、描いた当初はウキウキ気分で編集部に持ち込みに行った。

参考までに、そのときに編集者の方に言われたことを、対話形式で記しておきたい。

ちなみに、編集者の方は若い(私とあまり年の変わらなそうな)女の方。

原稿は編集部の受付前の談話室で行われた。

 

 

6

 

「なんというか、下ネタが多いですね」

prf

 

 

「(え?多いか…?そうか…?)そうです…ね」

6

 

 

「こういったギャグは、弊社の発行する雑誌を読むファミリー層にはウケません。あとオチが弱いですね。想定されるオチから脱せていない印象を受けます」

prf

 

 

 

「(気付かされるなと思いつつ)すいません…」

 

6

 

「あと絵が蛭子能収さんに似てますね

 

prf

 

 

「(たしかに似てると感動しつつ)すいません…」

 

6

 

「今の時代はかわいい女の子が出てくる、いわゆる”萌え”路線が求められています。あなたの作品は、あまり時代に合いませんね」

 

prf

 

「(時代を恨みつつ)すいません…」

 

6

 

「ではあと、なにか質問はありますか?」

 

 

prf

 

「(なにも考えてなかった)えっと…下ネタが多いとおっしゃいましたが、5ページ中どれくらいなら下ネタOKですか?(どうでもいいことを聞いた)」

6

 

「えっと…そうですね…1コマくらいだといいですね

 

prf

 

 

「(細かいなと思いつつ)さ、参考になります…」

 

6

 

 

「それではもう結構ですので。お疲れさまでした。」

 

prf

 

「(なんかいろいろと混乱しつつ)ありがとうございました…」

 

 

 

 

…といった具合だった。

なんか、よくわからないけど、きちんと的を射ていたので、納得はできた。

納得はできたのだが、下ネタ多かっただろうか?

普段下ネタばかり言っているせいで下ネタの程度がマヒしているのだろうか私は。

この判断はみなさんにもまかせたい。

 

とにかく、漫画を描くというのは大変な時間と労力を要する。

またそれをたくさんの人に見てもらうのは、すごく大変な道のりだ。

私も実際に漫画を描いてみて、その苦悩を少しは(本当に少しは)感じることができたと思う。

漫画家と編集者の魂のぶつかり合いでできた漫画こそ、

強く強く輝ける日本の文化としてふさわしいものとなるのだ。

 

私としてはすごく楽しかったし、とてもよい経験になったが、

漫画に対する熱意があまりないようである。(最初からわかっていたけど)

 

漫画家を目指すみなさん。そして、漫画家のみなさん。

どうか、日本をよろしくお願いいたします。

 

硯には一口ようかんが似合う気がした

 

タイトルの通り、硯には一口ようかんが似合う気がしたので横に置いてみた。

※本当にそれだけの記事なので、読まなくてもいいと思います。切実に。

 

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<ほら似合う>

 

IMG_1072

<袋物でも似合う>

 

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<似合うけど中村屋ってようかんあったんだ>

 

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<とらやだって似合う>

 

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<パッケージの「鶴」なんてそこにある筆で書いたみたい>

 

 

実際にやってみて、とにかく似合うということがわかった。

ただそれだけだった。

あと、ヤマザキの一口ようかんは結構おいしくなかった。

人生の念頭においておきたいくらいにおいしくなかった。

というか、しばらくようかんはいいなと思った。

 

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<食べ飽きたしやり飽きた企画だった>

サラ・ジェシカパーカーになりたい

 

 

サラ・ジェシカパーカーは、かわいい。

というのも最近、映画「セックス・アンド・ザ・シティ」をかなり遅ればせながら観る機会があった。

そして私は、彼女の魅力にすっかり首ったけになってしまったのだ。

1
<ゲオで中古580円で買った>

 

「セックス・アンド・ザ・シティ」は、映画化以前に1998年からTVドラマで放送されていた。

ニューヨークに住む30代独身女性4人の生活をコミカルに描く本作は、放映開始から10年以上経っても、

今なお続編映画が期待されているほどの世界的超人気作だ。

そんな「セックス・アンド・ザ・シティ」でサラ・ジェシカパーカーが演じるのは、

売れっ子ライターのキャリーという役。

恋愛至上主義で、ファッションと靴をこよなく愛する彼女は、まるで私とは正反対のタイプだ。

 

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<キャリーを演じるサラ・ジェシカパーカー>

 

自分にないものに惹かれるのは人間の性。

劇中のサラ・ジェシカパーカーは、とっても明るくチャーミングで、

私も強くてしなやかな女性にならなくちゃ!と気持ちを盛り上げてくれる。

恋愛に奥手で、根が暗い私も、サラ・ジェシカパーカーみたいになりたい。

そう思うのは酷なことだろうか。

 

●サラ・ジェシカパーカーを目指す

いきなり素敵な女性になるのは難しいので、とりあえずサラ・ジェシカパーカーを目指して

形から入ろうと思う。

ということで、金髪ウイッグとカラーコンタクトレンズを買った。

これでサラ・ジェシカパーカーになれるのか。

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<なんか違う>

 

そもそも私は顔が丸いんだった。あ、いやそういうことでもなかった。

服装がみずぼらしいのがいけないのか。

来週の知人の結婚パーティーのために買った服を着てみるか。

 

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<やっぱり違うしなぜか腰曲がってる>

 

サラ・ジェシカパーカーになれない。どうしたものか。

形から入れば少しは恋愛至上主義にもなれるのかな、とも思ったのだが、

そんなうまくことは運ばなかった。

 

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<このカツラ、今後使うことあるのか>

 

カラコンに関しては特に、ドン・キホーテでひしめきあうギャルの間をかいくぐって

買いに行ったので、相当な徒労と勇気を要した。

そんな気苦労も報われないなんて信じられない。絶望的だ。

 

●思いついた

1日中悶々とサラ・ジェシカパーカーになる方法を考えていたら、ついにひらめいた。

手っ取り早くなれる方法がひとつあるではないか。

ということで思い立ったが吉日、早速ユニクロに行くことにした。

 

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<ユニクロで>

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<パーカーを買う>

 

パーカーを買った時点でお読みの皆さんはいやな予感がしているのではないだろうか。

そうだ、ご想像の通りだ。

私は「サラジェシカ」という「パーカー」を着て、

本当の意味での「サラ・ジェシカパーカー」になるのだ。

 

 

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<どうだ!特製「皿ジェ鹿パーカー」>

 

プリント転写シールを使って作ったが、慣れないせいでいくらかムラができた。

でもそんなことは気にしない。

私は、みんなのあこがれの、皿ジェ鹿パーカーなんだから。

 

 

●皿ジェ鹿パーカーになって街に繰り出す

皿ジェ鹿パーカーになった私にもう怖いものなんてない。

実際は仕事も恋愛もダメダメだけれども、いまなら胸を張って言える。

「私は恋愛至上主義よ」と。

 

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<私は恋愛至上主義よ>

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<ここはニューヨークよ(本当は上野の不忍池)>

 

ムダに素敵なポートレートが撮れてしまっている。

それもこれも、この皿ジェ鹿パーカーのおかげだ。

魅力的な女性とは、常にフォトジェニックであるのだ。

 

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<何かに標的を定めた皿ジェ鹿パーカー>

 

「外見が変われば性格が変わる」というように、

「パーカーを羽織れば性格が変わる」と感じている。

臆病だった私は、皿ジェ鹿パーカーを羽織り、いま、大胆になる。

 

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<バラに囲まれる皿ジェ鹿パーカー>

 

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<矢切を渡る皿ジェ鹿パーカー>

 

ああ、勢いに乗っている。

皿ジェ鹿パーカーである私はいま、ノリノリなのだ。

この勢いに乗れば、きっと結婚もできる。

夢にまで見たウエディングドレスも(パーカーを着ているけれど)きっとすぐそこだ。

なので、結婚式場に向かった。

 

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<結婚式場に近づく皿ジェ鹿パーカー>

 

しかし、結婚式場にきてやっとわかったことがある。

わたしは大きな勘違いしていたのだ。

 

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<急におよび腰になる皿ジェ鹿パーカー>

 

サラ・ジェシカパーカーになれば、女性として自信がつくと思っていた。

しかし答えはNOだ。

「セックス・アンド・ザ・シティ」で彼女が数々の失敗をしたように、

私もたくさんの経験をしなければならない。

 

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<いい女になるのは時間がかかるということだ>

 

本当の意味で、サラ・ジェシカパーカーのように明るくてチャーミングな女性になるために、

私はそのパーカーを脱いだのだった。

さあ、今からでも遅くない。

自分を磨いて、たくさん恋をしようではないか。